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2005年9月30日 (金)

生きる軸

お世話になっていた方が、結婚の報告にうちにきました。突然だったのでびっくりしましたが、どうか幸せになっていただきたいです。私の好きな諏訪湖の見える街にお嫁に行くそうです。

話題は変わって、生きる軸・心の拠り所を持っていると行詰った時にありがたさを感じます。信仰なり精神世界なり哲学などを。たとえば、家にいて毎日、修行しています、研鑚しています、というと仲間は「おお、すばらしい!」などとたたえてくれますが、他の知らない人からすると「なんだそら?」で終わりでしょう。生きる軸となるものに励んでいる最中は、今の自分なんて蚊に刺されたようなもの、世の中にはもっと大変な状況の中で精一杯くらしている方もいるわけだから。生命力が湧き、意気揚々としてくるのです。ところが、軸から離れると嫌なほうへ物事を考えがちになってしまいます。そうしたら、また研鑚したノートをみるのですが、ことが深刻だとそうはいきません。いくらか余裕があるときは、自分が人生最悪だった日を思い出します。98年の3月のこと。本当に死にそうになると、これほど恐い事はない、真っ先に浮かんだのは祖母と母です。申し訳ありません、という気持でした。(縁起でもない・・・)意識がもうろうとしていても、”死”の文字が浮かぶと、覚醒し、恐ろしさで一杯になります。数日後よくなって病室のTVを観ていると「動けて、話せて、食べれていいなあ」と画面に映る人々が羨ましくなる。

そんな人生最悪の日。学歴・地位・名誉・お金どころじゃない、命があるだけありがたい・・・。「動けて、話せて、食べれていいなあ」とつぶやいた日と比べたら、今は幸せじゃないか、と言い聞かせます。今、私自身に言い聞かせています、幸せ、だって。

今日の薬 アナフラニール メデタックス この後、ブロチゾランを飲む予定。

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2005年9月28日 (水)

八月のクリスマス&つきせぬ想い

今日の午後は、かかりつけの病院に行ってきました。主治医の先生と電話でお話しし、お薬だけを受け取りに行ったかたちです。面接しなくとも相談できてアドバイスをしてもらえるのは、時間がないときや、お腹の調子が悪い時、非常に助かる。今日は学校が休みなのか、小中学生が道や帰りに寄ったスーパーにたくさんいた。

ここでちょっと映画の話。

四月の雪という、映画が公開されたようです。私は同じ、ホ・ジノ監督が手がけた「八月のクリスマス」が好きです。韓流ブームになってから、この映画の主演ハン・ソッキュが韓国の大俳優だと知りました。今度、日本版としてこの役を山崎まさよしさんが演じたそうです。せつないお話しですが、山崎さんがあの役をやったと思うととても気になります。

あと、もう何十回と観たかもしれません。香港映画ですが「つきせぬ想い」これは究極の純愛映画だと私は思っています。無邪気で明るいヒロインが、病魔におかされ愛する人との別れを惜しみながら亡くなってゆくという、何度観ても泣ける映画です。

私は昔からアジア映画が好きで他にも、イラン・中国の作品も見ました。生きることへの情熱とはかなさ、そして人間の深い部分を掘り下げたものが多いように思います。映画から、その国の背景を垣間見るのも勉強になります。

このところ、韓国のドラマがたくさん放送されるようになり、嬉しい限りです。天国の階段、夏の香り、悲しき恋歌、どれも悲しくも、愛を教えてくれるドラマです。

日本映画だと、解夏、冷静と情熱のあいだ。ジャンルが違いますが、いかレスラー、けっこう気に入りました。アメリカ映画は、17歳のカルテ。原作本もうちにあります。

芸術の秋です。最近は、読書ばかりですが、映画をみるのもいいですね。

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紹介したい走り書き

思春期の頃、感じていたことを走り書きしたノートがあったので、ご紹介します。 ↓

私は、”視線による差別”というものがあると思えてなりません。

不登校をするようになってから大人の視線を近所や、学校で感じるようになりました。目は口ほどにものを言う、そのことわざの如く、目は人間の様々な心模様を映しだします。
それは、ときに悪口よりも強烈で、冷ややかな視線は私の胸にナイフのように突き刺さりました。
人の目は凶器。私はそこまで人の視線に敏感になっていました。 

たまに街中で、奇声を発している障害者に対して、冷たい視線を投げかける人がいます。見ている私もとても不快な気持になります。

私が、小学生の頃、毎朝のように通学路の途中で、体に障害を持った男性と会った。ある日のこと、いつものように友達と歩いていて、その人が通り過ぎると私たちは振り返って眺めていた。すると、その人もこっちを振り返り、目と目が合い、彼は立ち止まってしまった。朝日を背に受けた彼の黒目は悲壮感にみちていて、口元から、一筋の光るよだれがたれた。別の日また彼が通学路にいた。彼はギラギラした瞳で私たちを見詰め、すれちがいざまに腹から絞り出すような声で「バカッ」と言ってきた。

あの時の私は、彼にどんな視線を投げかけていたのでしょうか。

”視線による差別”を自分が受けるようになってから、いつも私は面前の人に対して誤解をまねくような表情(視線)をしないよう心掛けています。

*走り書きしたものを加筆、推敲して載せました。

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2005年9月25日 (日)

お酒がない生活

台風の影響でしょうか。強く冷たい風がさっきまで部屋の窓をカタカタと鳴らしていました。母は数日前から同窓会のこの日をひかえて忙しげに過していました。お酒がほとんど飲めない母です。居酒屋、2次会、3次会を終えて帰ってきた母の服から、煙草と同窓会で顔をあわせた人々の臭いが漂っています。興奮冷め遣らぬ様子でさっきまで、おしゃべりをしていました。今日もお酌をしただけで、一滴も飲まなかったそうです。

私はつい最近までお酒が好きでした。母同様うちの家系もほとんどお酒を飲む人がいません。冠婚葬祭などで飲むくらいです。飲み会に行くと、飲むペースが早い私は皆から「家の人が強いの?」とよく聞かれますが、違います。ファンだったミュージシャンがとてもお酒好きな人で、雑誌のインタビューにもお酒の話題がよくでてきます。ファンになるとその人のことをとことん知りたくなる凝り性ですので、アルコールの種類の中でも何が好きか、いつも耳をそばだてていました。大人になって、真っ先にあらゆる種類のお酒をのんでみたい、衝動にかられ、チャレンジしてみました。その人が好きなのは焼酎。私は、焼酎はまったくダメで、ウーロンハイで飲んだら、ウーロン茶自体嫌いになって、しばらく飲めなかったほどです。好きなのは、ビール・ワイン・日本酒・ジントニックです。二十歳になりたての頃は、他の女友達は皆チューハイを注文するのに、私だけ日本酒を飲むのでオッサン扱いされていました。夏はビールが美味しいです。しかし、涼しい時期だと腸が弱い私は下痢をしてしまいます。酔いがまわってくるのに時間がかかります。夏以外は、熱燗が無難。温めたぶん、アルコール分は少しとんでいるでしょうが、お腹に優しいし、じっくり会話を楽しみながら飲めるのがいいのですね。しょっちゅうは飲めないので、週何回どころか、3ヶ月ぶりの飲み会で、今まで飲めなかったぶん気が済むまで飲んでいました。つまみは、カマンベールチーズ、生ハムなんかあったら最高です。私の男友達が、もう数ヶ月連チャンで飲んでるよ、と自慢げに話してきますが、それが羨ましい。でもきっと毎日が楽しいお酒ではないでしょう。付き合いを大切にする彼は、日頃のストレス発散の意味もこめて時には痛飲することもあると思います。また今日は何杯飲んだよ、とTELがかかってきても私はいつも聞き役。誘われても断わります。居酒屋に行っても最近は、ジュースです。

やはり、睡眠薬を常用している影響でしょうか。先日のノンアルコールビールの件もそうですが、5月には2合飲んで、トイレに行こうとソファーから立ち上がると、よろけてしまいました。そして、トイレに入り用を足そうと腰をおろそうとしたら、ゴンとぶつけそうになった。目の前の壁も波うっていて、しばらくうずくまってしまったのだった。次の日にはヒドイ二日酔いで床に伏せ、2合でこんなになるなんて・・・。落ち込みと、二日酔いの気持ち悪さで布団からしばらく起き上がることができませんでした。

おかげさまでアルコールに依存していたわけではないので、お酒が飲めなくなったことで特筆するような支障は人間生活にでていません。しかし、再び敬遠するようになったものがあります。しらふの私は、学校関係や心の古傷が痛み出すような、本、映像を見るのに勇気が要りました。ほろ酔い機嫌だったら、なんの抵抗もありませんでした。また再びそういったものに接する時、勇気がないと、心の準備ができないと、触れる事ができなくなってしまいました。書く参考に本を読み、テレビを見るのです。自分の経験だけで十分でしょうか。でも欲が出てそれをもっと高めたい、イマジネーションを刺激するために必要になったりします。

必要になったら、睡眠薬を一錠のんでから取り掛かります、感情的になったら、もう一錠飲んで、今度は寝るようにしています。なので昼間ではできない、夜限定の作業ですね。

今日の薬 アナフラニール10mg メデタックス ブロチゾラン0.25mg デパス0.5mg

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2005年9月24日 (土)

ココログの良いところ。

ブログをつけ始めてもう一ヶ月。ココログがよいのは、あとで記事を編集できること。睡眠薬を飲みながら書いた日なんか、調子が良い日に読み返したら、誤字があったり、変な部分があって赤っ恥をかいています。いつものことですが、つたない文ですみません。ブログって難しい。手探りの状態ですが、これからも続けてゆきたいと思います。

今日は諏訪日赤の病院祭みたいですね。行きたかったなあ。諏訪は私が一番好きな街で、通院していたし、アルバイトもしていた地。今年の花見は高島城でした。近々行ってみたい。

P・S 生理前っていつにもまして憂鬱。6月は激しい生理痛で失神しそうになりました。

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2005年9月23日 (金)

ちょっとした罰?

洗面所で歯を磨いていたら、後ろから下腹部にチョップされた。
かあさん!女にとって大切な部分なんだから、粗雑に扱わないでよ。
おかげで歯ブラシくわえたまましばらく、悶絶したではないか。歯磨き粉で舌がヒリヒリしているよ。
プロレスの技を覚えたはいいけど、そんなとこに使うな。場面を選んでくれ。
母は笑いながら謝ってくれた。
我が家はナンダカンダ言っても平和じゃないか。
なんちゅう親子だ、って印象を受けると思いますが、母の名誉のため「明るい愉快な親あっての私」
なんですよ。
今までの日記を読んで頂けば、お分かりのとおり峠道が多かったから築けた関係なんですよね。
会話もよくするし、忌憚のないお互いの意見を交換できるんです。
かく言う私も、対抗しましたから。

P・S 母はその数日後、トイレにいっても残尿感があると訴え、膀胱炎になってしまいました。

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2005年9月22日 (木)

ラテンアメリカの知人

horiiさん、コメントありがとうございます。

そうですね、私の男友達も会社で辛い場面に出くわすこともあるでしょうに、愚痴を全く言わないんですね。異国の地で想像もつかないような苦労がたくさんあることでしょう。

取材気をつけて行ってきてくださいね。お体ご自愛ください。

うちの地区に以前はたくさんブラジルのメンバーがいました。皆さん明るく、その場をにぎわせてくれました。いまは、ペルーとボリビアのメンバーが2人います。両国とも公用語はスペイン語なんですね。初めて知りました。一人の人は流暢な日本語が話せて、まだ日本にきて日の浅い人のほうが理解できずにいると、スペイン語で通訳しています。もうホントに頭が下がります。彼女らの姿勢、日本のことを理解しようと頑張っている姿は大変勉強になります。逆に私が励まされています(^^;)

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2005年9月20日 (火)

ブラジル人の男友達

私の男友達 I 君は13歳の時にブラジルから日本に来た。来日当初はまったく日本語が話せなかった。2年程前飲み会で一緒になってから、全く顔を合わす機会がなかったが、今年の3月に再会した。中学時代の彼は慣れない異国の地でホームシックになることもあるだろうに、苦労を表情にださず、はにかんだ笑顔が印象的でとても素直な子だった。22歳になった彼は日本語が大変流暢になり、昔と変わらない笑顔を浮かべて私を迎えてくれた。憂鬱だった高校への登校時に、駅で時々私と会うと手をふり返してくれてあの屈託のない笑顔に一瞬だけだが心に安らぎを与えてくれた。彼と再び交友が始まった事が凄く嬉しい。お国柄のせいか、レディーファーストでやはり日本人男性だったら照れてできないような、心の中にある気持を率直に言葉にしてくれる。だから人間不信ぎみな私も他の男友達には話せないようなことも口にできるし、早速自分の病気についても告白できた。こんなに他人と一緒にいてリラックスできるのは、久々だな。腹を割ってしゃべって、はしゃいで、からかわれて相手の肩をピシャンと叩く。それが当たり前だったかつての自分。それが何時だったかも思い出せない。もしかしたら、小6以来くらいかも。下ネタも彼はよく分かっていて笑い転げたり、経験豊富な?話は処女の私にとって(爆弾発言じゃん)参考になる。AV一緒に見て解説してもらったし 笑 下ネタを話すと一気になんだか、信頼関係が生まれてくる。昔もそうだったよな。女のくせして皆がウケてくれるのが嬉しくて、平気でネタを披露していたっけ。(いい流れできたのに雰囲気ぶち壊しですね。スミマセン)。ということはそんなに長い期間、人との深いかかわりがなかったのか・・・。表面だけの友達が多くて寂しかったなあ。皆、私自身も含めてだけど自分が一番可愛い人間が多かった。

特に高校のクラスは正義の”せ”の字もなく「自分さえ良ければいい」そんな雰囲気だった。この人の辞書の中にはデリカシーっていうものがないのだな。失望させられるクラスメートもいた。中学時代、私に嫌がらせをした人だ。結局その人は、気に入らない子をいじめて、弱い子から金を奪い取って、散々周りに迷惑をかけた揚げ句、退学処分となった。心が貧しい人間だと思う。

I 君は通訳の仕事をしている。勤務時間は朝6時から夜8時半まで。祖国の両親に仕送りをするためだ。人一倍苦労し、頑張っていて、しかも苦労を顔に出さない人で、世の中にこんな誠実な人がいたのかと思うほど彼には頭が下がる。とても尊敬している。それに私を和ます素晴らしい才能がある。症状を心配してくれて、ドライブにも連れて行ってくれた。お願いして、お姫様だっこもしてもらった。私が彼にしてあげられることはないかと思い、最近になって手料理を届けたり、全身マッサージをしてあげたら喜んでくれた。今の私ができることは、彼を励まし、悩みを聞き、困った事があったら私のできる範囲で助けてあげること。

彼との再会で、やはり人に傷つけられた心は、人の愛によって修復されてゆくのだと実感している。

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2005年9月19日 (月)

新日HPの「写真と経過」

実際にプロレス観戦に行く機会が少ない私は、即日更新される新日HPの写真と経過を観るのが毎日の日課となっていた。しかし、ここ数ヶ月前から新日のFC会員でないと見られなくなってしまったのが残念でならない。そう思ってる人はたくさんいることだろう。女の子がコンビニでプロレスの週刊誌を読んでいるのを一度も見た事が無いが、そういう事態になってしまったことで私はコンビニに長居することが多くなってしまった。うちの地元のコンビ二や本屋にはゴングか週プロのどちらか一方しか置いてない場合が多い。唯一ローソンだけが両方置いてある。毎週毎週、じっくり読んでいると店員に顔を覚えられてしまうが”読みたい”気持が勝って通っていた。自分と同じような考えをもっている人がいるのか、プロレスコーナーの所には男の人がよくいて、私は隣でその人が読み終わるまであまり関心のない女の子専門誌を読んでいる。腹中で「早く読み終わってくれないかな」と念じながら。やっと読めると思って手にとると、表紙が手の汗で湿っている少し気持悪かった。その帰りに近所の西友に寄り、何気なく雑誌のコーナーに目をやるとなんと両方あったのだ!私は飛び上がるほど嬉しかった。いままでなかったのに、店員かお客さんがリクエストして置くようになったのか?主婦をターゲットにした雑誌が多い中、目立っている。そのぶん、折り目や誰かの手の汗で湿っていることもなく新品同様のまま手に取れる。それにローソンのように後ろで私が読み終わるのを待ってる人を気にせず、じっくり目を通せるのが嬉しい。プロレス記者が書く記事は個人的感想が入っている。それもいいのだが、試合日から数日経っている。新日のHPがよかったのはやっぱり即日、記事によって試合結果と試合運びが分かること。それにPC画面いっぱいに広がる、選手が技をかけている写真があるところ(その他の写真で)。どうか前のように、FCに入ってなくても誰にでも観られるようにしていただきたい。新社長さんよろしくお願いします。ってココで書いても意味がないけれど(^^;)

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2005年9月17日 (土)

睡眠薬・ブロチゾラン

私は睡眠薬のブロチゾラン錠0.25mgを毎晩飲んでいます。常用するようになってからお酒を飲まなくなりましたが、ノンアルコールビール(それでもアルコール分0.9%)を1缶飲んだだけで一瞬立ちくらみがし、足元がふらつきました。飲んだのは午後3時。睡眠薬を飲んだのはその14時間ほど前です。

以前はお酒が割りと強かったのですが、そんな症状自分だけでしょうか?

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2005年9月16日 (金)

高校の先生

肌寒い夜ですね。私の住む信州は朝晩の気温の差が激しく、服装に悩みます。

高校時代の担任の男の先生に昨夜TELをしました。疲れている様子でしたが、受話器から先生の声がすると張りつめていたものがスーッと引いていくんです。自分の子供に話し掛けるような口調で、いつ聞いても懐かしい優しい声。悩みを話そうとしていたのですが、その声を聞いて、普通の近況を伝えるだけのTELになってしまいました。ああ、いつまでも話していたい・・・気分でしたが、疲れているときに申し訳ないので10分ほどで受話器を置きました。

それに比べて、学年主任だった先生が高飛車な人でひどい目にあいました。欠席しがちだった私は、ある日、担任とその苦手な先生、母の4人で話し合いをしました。「明日から一日も休まずに学校に来れないようなら、退学してもらう」と言ってきたのだ。私は「どうして?何も悪い事やっていないのに・・・」と悔しい思いで一杯だったのを覚えています。私のクラスは他のクラスから「まとまりがない」「あんなクラスにならなくて良かった」「質の悪い生徒の集まり」などと散々な陰口をたたかれていた。生徒会でも、もう一人の委員の子が一回も出席せず、いつも私ひとりで何もかもやっていた。掃除する生徒もほとんどいず、私と3人の友達だけでやる毎日だった。「正直者がバカを見るっていう感じだね」と口々に言いながら。

高校の細かいシステムは私と母は詳しく知らなかった。それに中学の先生に聞かされてきた内申書の話も、高校では食い違う点がいくつもあった。私がその時すでに病気だったこと、世渡りが下手なこともあるが、学年主任の先生のやり方には未だ納得いかない。私たちが母子家庭で弱い立場なのをいいことに一人の生徒の大切な人生を踏みにじった、そんな被害妄想までしてしまった。

中学校もやはり休みがちな私だったが、2年分の勉強の遅れを取り戻してやっと入った高校だった。担任の先生は私の意見を、学年主任に理解してもらおうと、あらゆる努力をしてくださった。しかし担任は高校に赴任してきたばかりだったので、その高校に長く居座っている頑固一徹な学年主任は聞く耳をもたず、結局私は休学届けを出し、泣く泣く自主退学したのである。

これほど先生(学年主任)を恨んだことは無い。過去の事を考えてもどうにもならないが、その恨みは根に持っている。

担任の先生には心配をかけてしまって申し訳なかった。でも先生と出会えたことがとても嬉しい。

いまでもこうして、TELをすると優しい口調で「どうした?」と聞いてきてくれるから。

★今日の薬 アナフラニール1錠 メデタックス1錠 ブロチゾラン2錠

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2005年9月15日 (木)

母より先に死なないと決めている

眠れなくても、PCの前に座ると落ち着いてくる。このブログを不特定多数の人が読んでも読まなくても(読んでくれるのを祈る・笑)自分の胸のうちを吐き出すことが出来るから。

自分の息づかいが伝わるような文を書きたい。

昨年の夏ごろまでは、娑婆でわたしひとりだけが遊離しているのではないかという感覚があった。外を歩くと、全身が透明のベールに覆われていてそのベールを通して、自分以外の周りの景色を眺めているような感じ。

体調を崩し、寝ていて自分の部屋の窓の外に目をやると、ガラス一枚隔てた向こうの景色は全く現実感が無くテレビ画面に映し出された街のように縁もゆかりもないものに見えた。

それは、母が死んだら、私は家の中で餓死をする、なんてことを考えていたせいかもしれない。

私の父は私が生まれる一ヶ月前に急死した。つまり、母が妊娠9ヶ月の時に。母は私が生まれるまで毎日毎日泣き続けたという。母は「悲しくて泣いてばっかりいたから、胎児に影響したんだろうね。たかちゃん(私)に可哀想なことをしてしまったね」なんて言う。それに母のほうがよっぽど苦労しているのに「たかちゃんが、お父さんの顔を見られなくて残念だった」ともいう。私は「お母さんがいるだけで幸せだよ」とこたえる。

我が家は母と私の2人暮らし。最愛の人をなくし、計り知れない辛い経験をした母の背中を見て育ってきた。虚弱体質で、神経質で、感受性が強くて、心の病を抱えている私は母に相当な心配をかけている。それでも明るく楽観的な母は「おまえは真面目すぎるから、同い年の子たちのように夜遊びしてもいいんだよ」と言ってくれる。

枕が汗と涙と吐息で湿り、顔を伏せるとブラックホールに吸い込まれそうな時があった。私がまだ16歳だったころ、症状に耐え切れず保健室のベッドのうえで”死”を意識した時もあった。イジメにあっても、どんなに酷いことがあっても、母に愛し許されて育ってきたから、トンデモナイ人間にならずにすんだのだ。母の存在がなかったら、私は自制心を失い畜生のようになっていたかもしれない。

昨年の夏ごろまで、母が死んだら自殺しようという願望がいつも頭の隅にあった。しかしある出来事をきっかけに、その気持は薄れていった。私が信頼しているお姉さん的存在の人に告白したのだ。すると、いつも温厚なそのひとは顔を紅潮させ今まで見たことも無いような形相で叱りつけられたのだった。私はしばらく閉口しかたまってしまった。正気に戻った時、私はすっかり人間としての生命力を失っていることに気がついた。

その日を境にあまり考える事はなくなったが、いまでも時々顔を出す。母が死んで、私も死んだら2人合同の葬式が出来て、皆さんに2度足を運ばせずにすむなどと。それは生命力が落ちた時のしるしだ。

私がいま現在将来について考えている事、本を書く、愛する人と結婚する、母が死んだら私も死ぬ、企業に勤める。その4つの道がある。

女手ひとつで育ててくれた母より先に逝くほど親不幸な事はない。

人は生まれた時から寿命が決まってるなんていう。あと運命。天災や事故も待ち受けているかもしれない。

いま私が強く胸にちかっているのは、

母よりも一秒でも長く生きること。私が出来る最低限の親孝行。

寝ぼけています。誤字脱字、表現がおかしい部分があったら失礼しました。

P・S 昨日、近くにある農産物直売場に行ってきた。めあては買物よりも、そとに飼われている鹿2頭をみること。草を見せると近寄ってきて、モグモグ必死に食べる。丸く澄んだ眼、2頭寄りそい健気に生きる姿をしばらく眺めているうちに涙がでてきた。心洗われる思いだった。私は病気をしてからあらゆることに涙もろくなった。

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2005年9月13日 (火)

お礼

本日コメントをくださった方どうもありがとうございました。

8月の下旬にブログを始め、実際私のブログをどれくらいの人が読んでいるか分からない状態のまま、自分の率直な思いを書き続けてきました。

おかげさまで安眠できました。

傷ついたぶん、人の心の優しさに敏感になります。人の善意がやたらと嬉しい。

当時は苦しくても、いまではこういった苦悩を乗り越えたプレゼントがあります。でも、今日の未明のように発作的に苦しめられるのはしんどいですけどね。

気まぐれ日記ですが、これからも自分の素直な気持を書き続けていきたいです。

ありがとうございました。

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今も苦しむ学生時代のトラウマ

いじめ・不登校体験の文章を書く参考にいま文庫本を読んでいた。

その中で虐待シーン、当時を思い起こさせる場面が多く出てきて、胸がツーンと痛くなり半狂乱になりかけた。

心の傷。10年経ったからといって簡単に消えるものじゃない。

例えば学校を舞台にしたドラマをやっていても眠っていたかと思った、あの当時の様子が走馬灯のようによみがえったりする。

いまは文庫本を読んだのがきっかけ。

動悸も息切れも落ち着いてきたから今日は眠れるかな、とウトウトするまでページをめくっているとその文面は表れた。

幼かった私はズキズキ痛む心の悲鳴をうまく言葉に出来ない歯がゆさがあった。その心の悲鳴や周りが私を見る目をその文庫本にはありありと鮮明に描かれていた。

読み進むうち胸元が苦しくなった。

学校に行け!と親に叩かれて、生活用具が凶器となって私目がけて飛んでくる。体が硬直しなす術なしのサンドバッグ状態だった。それでも頑として登校しようとしなかった。

学校は恐ろしいものが待ち受けている。それは、いじめ。

テレビでは連日のようにいじめ自殺のニュースが流れ、社会問題となっていた。

叩かれ、物を投げつけられて学校に行かずにすむのなら、いくらでも受ける覚悟だった。

あの私の選択はいまでも間違っていないと思う。周りが敵になったら自分は自分で守るしかない知恵を身につけさせてくれた。

しかし、いまでこそ最大の理解者である親もあの頃は鬼だった。通院、投薬治療が必要だったのはむしろあの学生時代だ。

あまりこの言葉を使いたくないが、殺したいほど人を憎んだ。

半狂乱になり、当時の自分の感情や「学校に行っていない子」と非国民扱いする人々、学校、が頭の中に次から次へと湧き上がり本当におかしくなりそうだ。

トラウマとなって未だに私を苦しめ続けるあの体験は、一生魂に刻まれて忘れる事はないだろう。

今日は睡眠薬1錠で眠れると思ったのに・・・。いまさっき2錠目を飲んでPCに向かっている。

このまま安眠できるといいな。

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2005年9月 9日 (金)

秋の気配

長野県伊那文化会館の東側に公園があります。

きのう散歩をしていたら、木の下に青い小さなどんぐりがたくさん落ちていました。

朝晩はめっきり涼しくなりましたが、ここ数日は夏日が続くようですね。

私は相変わらず胸元が苦しいです(>_<)

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2005年9月 6日 (火)

新日本東御大会

台風が近づいています。こっちに来るのは6日の夜遅く。

新日本プロレスの東御大会が、6日の夜6時半から行われます。選手の皆さんは当日、東京を出発して長野入りするのでしょうか。

同じ長野県といっても私の住んでいる地区からは、ずいぶん離れているので行けませんがどうか心待ちにしているファンの皆さんのためにも無事に行われてほしいものです。東信地区は普段プロレスの巡業があまり来ないところですので。

11月に飯田市というところに来るのでその時は行けたらいいなあと思います。

前回の日記で書いた会いたい人というのは、新日の選手の事なんですね。でも本当に憧れて尊敬している人っていうのは、緊張してしまい声をかけるなんてとんでもない。同じ空気を吸い、実物を見ているだけで幸せだという心境でした。

2年前に地元の体育館に来たときも声をおかけするなんて気持は全くなく、売店の近くで関係者とお話しをされているところを写真に撮らせていただきました。(断わりもせずにすみません)

まだ自分の弱い部分を気にしすぎて、コンプレックスに感じていたのです。なんだかいつも外にいても自分だけが浮いている。景色の中にとけこめていない、遊離した存在だと思っていました。

でも2年経った今の自分は違う。もうひとりの憧れの方に手紙を書いた。自分の弱い部分を文章にさらけ出した。少し勇気の要る事であった。しかし、その方は理解してくださった。私の名前も覚えてくれている。今年の夏にお会いし、大変良くしてくださった。

この経験は私に自信をつけてくれた。自分はカッコ悪くないんだと、これからもオリジナリティーを大切に生きてゆこうと。

プロレス。まだ観るようになって日が浅い。

彼らの勇姿は、見ているものの魂に響く。肉体と肉体のぶつかり合いだけではないリング上から放たれるメッセージ、汗、夢、情熱、勇気、涙・・・それが記憶のフィルムの中にファイリングされる。リングというキャンバスの上で展開された芸術作品たちが。特に印象的な試合を見た後は、ずーっと胸に余韻が残っている。

例えば、私が発作的な症状に苦しめられた時、そのフィルムが頭の中に浮かぶと何としても生きよう、と眠っていた情熱を呼び起こしてくれる。

選手に惹きつけられるのは、選手自身の人生をリングに投影しているからだ。命よりもプロレスを選んだ人がいる。リングの上で死ねたら本望だと言い切った人もいる。

観ている私も普段の生活の中でこれほど、自分の肉体の中に魂があると実感する瞬間はない。

彼らの勇姿をもっともっと多くの人に観ていただきたい。

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2005年9月 5日 (月)

眠れない

動悸・息切れが相変わらず続いている。

今更騒ぐ事でもないが、2年程前から始まった。波がある。家族を起こすわけにもいかない。起こしたところで解決するものでもない。

ブロチゾランという睡眠薬を常用しているが、水なしで唾液をためて飲み込む。眠っている途中でトイレに起きたくないから。

睡眠。つかの間の現実逃避。目が覚めればまた、頭の中は入れ替わり立代わり雑念・思考で爆発しそうになる。

もう一錠飲んで寝る。

明日6日、東御市というところに会いたい人がやってくる。でも無理そうだな・・・。

この時期の気分転換、毎年行く場所がある。

うちから車で40分ほどの駒ヶ根高原。穴場だと思ってるけど、G・Wやお盆は県外ナンバーの車でけっこう混んでいる。

その会いたい人に初めて会った場所がこの駒ヶ根市なんだな。

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