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2005年10月31日 (月)

慢性の孤独感

物心ついた頃から、この世で自分だけが浮いた存在なのではないか?
そんな孤独感がある。

2年前の冬のこと。
雪かきをしていたが、途中から雪合戦に興じてしまった。
その場にいたのは5人。
声をあげて相手に雪を投げる。雪は命中した。
しかし、口から発したその声は、何かに遮られて相手に届かない。充分相手の耳まで入る声量なのだけれども、白銀の世界の何処かへ私の声は蒸発してしまった。

自分は確かにここにいるのか。みんなには私の姿が映っているのか。
私は輪郭がぼやけている?誰にも見えない透明人間なのか。

そんな衝動に駆られ、物思いにふけっていた。

すると背中にパシャッと軽い衝撃を感じた。一人の子が雪を投げてきたのである。背中の冷たい雪を触って、手の平で水になってゆく様をながめていた。

屈託のない笑顔たちは、白い風景を背にしてキラキラ輝いている。
なんだかビデオ映像のようだな。
私はビデオ映像のなかへ迷い込んでしまった。

確かに私はみんなと同じ場所にいて、雪合戦をした。それは事実であって、夢でもなんでもないのだけれど、目の前に広がる現実を受け入れられなかった。

ちょっと調子が悪くなると、背すじに寒気が走り、例えようのない恐怖感に襲われる。

「これが一生続くのか・・・」

そう思い始めると、全てがマイナス思考に働いていく。
症状と比例するように、生命力が落ちて、周りのものが非現実的に映る。
生きることに迷いがでてくると、全てのものが視界から遠ざかってゆく。
自分という個体は、水の表面に浮いた一粒の油の塊のように、周りに溶け込めなくなる。

私は思う。
孤独感に襲われる時、それは「死ぬ」という意識が心のどこかにある時である。

今日の薬 アナフラニール メデタックス 正露丸 
            HGのビデオ録画集(デパスの100倍は効く・笑)

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2005年10月29日 (土)

ボランティア活動

「人のために汗を流しなさい」

「社会に貢献できる人材に育ってもらいたい」

これは共通する師のお言葉です。

私はそんな身分に程遠く、些細なことしかできないのですが、不定期的にボランティア活動や地域活動に参加させてもらっています。

私が一番思い出深いのは、高校に入学して間もない頃に、小4~中2に体験した不登校・いじめ体験を大勢の前で発表したことです。
正直言いますと、人に言われるがまま嫌々の発表でした。
これはまた後日、紹介します。

本日はそのひとつ、バスハイクのある日でした。しかし、風邪を引いてしまったため不参加。高原なので寒かったと思いますが、天気にも恵まれ楽しいひとときを過せたのではないでしょうか。

そこには、病気や事故などの後遺症を抱えた中高年の方々がいて、皆さんそれぞれのペースで、明るく楽しみながらリハビリを行っています。
本日はそのなかのお出掛けだったのです。

初めて参加したのは、昨年の夏。
少し緊張しながらドアを開けると、すでに皆さん集まっていました。
皆さんからすると、私は子供か、孫といってもおかしくない歳なので、若い娘が来てくれたと喜んでいただきました。
こんな未熟な娘でも、少しでもお役に立てることがあり、嬉しいですね。

その日の課題は、自分の好きな言葉を習字用紙に書くというものでした。
詳しい内容を聞かされていなかった私は一瞬、戸惑いましたが、笑顔が素敵なおじいさんの隣に座って一緒に書くことになりました。

リラックス効果のある音色が流れ、人の体温が心地よく充満した部屋。机を囲み、皆さん、談笑しながら、和気あいあいとしている。
ここには不純物などひとかけらも存在しない。
なんと平和な空間だろう・・・。
家から歩いて15分ほどの場所にこんな素晴らしい場所があったなんて・・・。

机に重ねられた詩集がありました。相田みつをの詩。
平和な空間と心洗われる詩。
柔らかい雰囲気に浸っているうちに緊張がどこかへ消え、私はその空間の中へとけこんでいました。

それぞれ出来上がった習字用紙が黒板に張り出されてゆきます。
私は相田みつをの詩を選びました。文字数が多く、細かい字でびっしり書かれた私の紙をご婦人が、口元を微かに動かしながら読んでいるのが分かります。

それが終わるとお茶の時間。
机の上を片付け、お茶菓子を配ります。来ている方が「あっ私やるよ」とお茶を運んでくれました。
この時間も笑顔が絶えず、スタッフの方々は、相手に自信をつけさせる言葉、楽しませる話術を持っていて「凄いなぁ」と驚かされることばかりでした。
やはり長年培ってきた経験なのでしょう。

他にも、絵手紙、俳句作り、結婚式の写真を持ち寄っての思い出話、パズルなどがありました。

昨年のバスハイクには、私も参加したのですが、帰りは、峠道を通ったので車酔いしてしまいました。
吐き気を催して、手で口を覆っていると、その日仲良くなったご婦人の方が、お土産のビニール袋をすかさず差し出してくれました。
もうちょっとで車内でやって(汚くてすみません)しまうところでした(^^;)
手前に座るおじさんも声が出ないのですが、心配してくださり、後ろの席からもビニール袋がわたってきました。
お騒がせしてしまいましたが、皆さんの気づかいに、目頭が熱くなりました。
ボランティアをする側が逆にボランティアをされた。少し恥ずかしい出来事でした。

人生の大先輩であり、私には計り知れない経験をされてきたであろう皆さんです。
私の病気のことは、当然知らないと思います。
私も皆さんがどんな経緯を辿ってこられたのか詳しくは知りません。
やはり、自分が辛い経験をすると、人の痛みが分かるようになる。優しくなれるのですね。
一挙手一投足に、相手へのいたわりが込められているように映ります。

それこそ、教科書では学べない”生きる”ということの勉強だと毎回感じています。

今日の薬 アナフラニール メデタックス 睡眠薬はここ2日止めています。

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2005年10月27日 (木)

和泉氏のプロレスの師匠とは...

信州は、朝晩冷え込み、気温も一ケタ台がつづいています。

昨日の未明の出来事が後を引いたのか、昼頃から鼻水が止まらず、熱が上がってきました。風邪が流行っています。町中でもコンコン咳をしている人を見かけます。皆さんもお気をつけください。

スポーツ紙のHPを見てびっくりしました。
3日にハッスルデビューする和泉元彌氏のコーチをAKIRA選手が務めています。
久しぶりに歌舞伎スタイルのAKIRA選手が載っており、活躍する姿がこんな形で拝見できてうれしかったです。
元WWEのケンゾー選手は強敵ですが、AKIRA選手がコーチをするなら和泉さんも心強いのではないでしょうか。(かつてケンゾー選手とAKIRA選手は同じ新日だった。対戦経験はあるのだろうか)
和泉さんを褒めているコメントもありました。

さあ、どうなるのでしょう・・・。

HGもこの試合も興味がありますが、テレビでは見られないんですよね。
HP、プロレス週刊誌でゆくえを待つことにしましょう。

風邪が悪化しないように、今夜は早めに寝たいと思います。

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2005年10月26日 (水)

勘弁してよ!

今夜は”自分の体型”を書いて寝るつもりでいたのに、男友達からTEL。
「彼女を紹介しろ!」「一人くらいいるだろ!」「今月までにつれて来い!」の一点張りで、結果、一睡もできずに朝をむかえそうです。しつこい電話でイライラ気味。もうホントにいい加減にしてほしいと思う。最後は口論で終わった。睡眠薬代がもったいないよ・・・。

今日の薬 ブロチゾラン追加

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自分の体型

先日のブログにも書きましたが、昔と比べ、病気に引きずられるのではなく、病気を引きずるようになってきた感があります。あの地獄の思春期からすると、予想もしていなかった元気な私がいます。

しかし、影をひそめてきたと思われた動悸と息切れが数日前から再び始まりました。それと波のあるゆううつ感が目をうつろにし、背中がどっしり重たくなり、立ち上がるのにも掛け声をかけなければ立てなくなりました。鏡に映る唇は白みがかかっています。数日すれば元に戻ると思いますが。

昨年の春頃から心を健康にするために食生活を改善しました。ニキビが消え、肌の表面がツルツルするようになったのは女性にとってうれしいことです。
お菓子やインスタント食品を一切とらないあまりにも急激な改善だったため、体重が落ちました。一時期34kgになり、ちょっとぶつけただけでアザができたものでした。衣料品を買うのにも、SSサイズ(ウエスト55cm)があるだけで、それ以下がありませんでした。ユニクロの店員に聞いてみると、大人のデザインとそれほど変わらない子供服の130があり、それを勧めてくれました。

現在は日によって違うわけですが、35、6kgほどです。もう秋も深くなりつつあり、厚着をするシーズンですが、夏は薄っぺらい半袖一枚なわけです。人の視線がうれしいような、そうでもないような心境でした。
とにかく人と顔を合わせて話すとき、相手の視線が、私のお腹の部分にいっているんです。
特に上半身は小学校5年生くらいでしょうか。(身長が低いのもありますが)。

人がどう感じようが、この体型、嫌いではありません。

それに、食生活は無理のないよう良い部分を取り入れるだけにして、以前に戻りました。 

今日の薬 アナフラニール メデタックス デパス 正露丸 ブロチゾラン

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2005年10月25日 (火)

週刊ふかわを読んで

9月の下旬から毎週日曜日に楽しみにしているものがあります。
ワタナベエンターテインメントHP内のふかわりょうさんのブログ「週刊ふかわ」を読むことです。
過去9回分まで読みました。
内容は、仕事の裏側、趣味、時事ネタ、人間の心理分析的なことなどを毎週読みごたえのある長文でおとどけしています。
私は特に人間の心理分析的なこと、哲学チックな文章が好きです。これを読んでから、それまでさほど気になる芸人さんでもなかったのに、バラエティ番組をつけると彼を探している自分がいます。

私が、なるほどなぁ~、って感じた第179回「犬が好きなだけなんだけど」の文章を抜粋します。

ふかわさんは大変な犬好きなのですが、家を留守する事が多く、飼いたくても飼えないとのこと。かわいい犬を散歩している人を見ると羨ましくなってくるそうですが、リードなしで、放し飼いにしている飼い主だけは許せないそうです。飼い主は「うちの犬は人に噛み付くことはないし、安全だ」と言い張っても、それはあくまでも飼い主個人の常識で、道を歩く人々はそんなことを知るはずがありません。犬がいきなり突進してきたら「噛まれるんじゃないか」と相手に恐怖心を持たせてしまうし、犬が苦手な人にとっては尚更のことです。

ここからが本題です。(前置きが長くてすみません)。
そんな犬の飼い主を例にして

「自分の価値観を当たり前だと思ってはいけない」という部分です。

それは社会の生きていくうえで重要なことであって、自分のものさしと他人のものさしが違うのは当然で、何事も自分の価値観で物事を判断してはダメなのです。世の中には自分と価値観の違う人間のほうが明らかに多い。
価値観を相手に押し付けるのではなく、人の価値観を認めなくてはいけないのです。

それを読んで私は、人の価値観と自分の価値観が違うなんて当たり前だけれども、普段の生活の中では忘れてしまいがち。
自分のものさしで相手を裁いてしまうことでいかに無駄なエネルギーを使ってきてしまったことか・・・。

大人になると学校とはまた違う人間関係に悩まされると聞かされてきましたが、まさにその第一号となる人物がいるのです。
何事も自分のものさしで物事を押し付け、周囲に不快感を与えているその知人にこれを言い聞かせたいと思いました。その人とは、もう随分人間関係が成り立っていません。それとなく注意しましたが、性格からして無理があるので、相手が変わるのを待つのではなく、こっちが相手の見方を変えなければこんな関係いつまでも続いてしまうでしょう。

そして、今後生きてゆくうえで、いつもこの言葉を胸に刻んで、実行してゆけたならトゲトゲした気持ちは消え去ってしまうでしょう。

今回は「週刊ふかわ」の本文の気に入った部分を中心に自分流に作成しました。なのでワタナベエンターテインメントHPのtopページ右側のふかわりょうをクリックし、2005年07月24日の第179回「犬が好きなだけなんだけど」までバックナンバーを辿ってゆくと全文が読めます。

私が過去読んだ中でオススメは、第188回「大切な場所」(内村P卒業に寄せて書かれたもの)、第175回「苦痛の器」とその続編第176回「心地よい場所」です。

きっとテレビとは違う、ふかわりょうさんの新たな一面を知ることができるでしょう。

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2005年10月23日 (日)

おそるべし!HGパワー

母がいっこく堂LIVEに行っているのでいつもより静かな日曜の午後を過しています。

HGのスケジュール表を見たら、毎日のように大学の学園祭が入っており、目の回る忙しさだとお察しいたしました。しかもハッスルデビュー当日も千葉大学でのLIVEが入っているではありませんか!これってダブルブッキングじゃないの!
同じ日、ハッスルデビューが決まった和泉元彌氏のようにワイドショーがヘリまで動員して中継されるようなことにならないように・・・。心配になって詳しく調べたところ、学園祭が11:00。ハッスルが17:00。千葉から横浜なのでこれだけ時間があれば充分間に合う。杞憂に終わりました(´Д`;)

もうひとつ。これは今朝の出来事です。
隣の家の小学生の男の子が朝っぱらからテンション高くフォ~!を連発しておりました。夜9時ともなると部屋の電気が消される厳格な家庭からフォ~!との奇声が聞こえてきたので私は一瞬耳を疑いました。しかし、母も「たしかにフォ~!って言ってるよね」とお互いに確認したのであります。

おじいさん、おばあさんとも非常にしっかりされている方で昔かたぎの家庭からまさかの奇声。叱られる様子もなく彼はつづけてました。(腰まで振っていたら最高だね(^-^))ついにここまでハードゲイは蔓延してきたのです。

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2005年10月21日 (金)

渡辺いっけいさんのお言葉

昔と比べて、症状があらわれてもそれを上手く回避できるようになりました。
ブログをつけるのもその一つです。それだけ良くなってきたということかもしれません。特にお笑いネタは、打っているうちにリラックスしてきます。

10年前の今頃は、楽しみも愛も味わえるのは空想の世界でした。半年くらい他人と会話ができなかったと思います。
その反対に高揚しすぎることもありました。それ以上は話せませんが。

今でも年に数回、発作的に顔を出します。正常な思考判断ができなくなった私は卒業文集のある部分を破壊してしまいました。
(誰にでもかんしゃくを起こす事はありますよね)

しかし、いい思い出、出会った友達・先生は大切なものです。生きていて無駄なものは何一つありません。真っ直中にいるときは苦しみ以外のなにものでもありませんが、時を経てようやくそう受け止められるようになりました。

自分には生きる軸なるものが存在して、そのせいか、苦難に健やかさが侵食されそうになっても食い止めることが出来ているのです。
逆に人に説法するときもあります (笑)

暗闇をさまよっていても心のどこかに

「自分は最高だ!」「使命があってこの世に生まれてきたのだ!」

この断片があったからこそ未来に向かって歩んでこれました。

11年前、俳優の渡辺いっけいさんから贈られた言葉

「苦しい事も、いつか笑い話になります。きっと・・・」

その意味が実感できる今日この頃です。

今日の薬 アナフラニール メデタックス 正露丸

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2005年10月20日 (木)

今夜のHG

ダウンタウンDXに出演していました。
デビュー同時の写真が出ていましたが、おそらくTVで素顔が公開されるのは初めてではないでしょうか?
私がHPで見たよりも小顔でした。隣の相方さんより明らかに小さい。
有名人といわれる方を生で拝見するとTVより痩せていて顔が小さいんです。
今日の写真はデビューしたての頃ですが、実物のHGさんはどんなでしょう。

視聴者は見たのコーナーで「カメラが回っているあいだは、激しく腰を振っていて、カットと言われた途端ピタッと止め、前屈みになっていた」との証言がありました。
これだけ露出度が多くなるともちませんよね。バク天で最初に登場した時より、腰を激しく振るのが減ったように思います。
スケジュールがハードになるにつれて、本人も加減をしているのでしょうね。

他の芸人さんが大きなリアクションをとっているのに、口をはさまず、静かにうなずきながら出演者の話を聞いている姿・たたずまいがジェントルマンでした。(というか疲れも出てきてるんだろうなぁ)

以前コメントしてくださった方が言っていたように、新しいネタをそろそろ披露して欲しいですね。相方のRG、リアルゲイというのも気になります。
今後の彼にも期待しています!

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2005年10月19日 (水)

芋虫の恩返し

昼間、歩いていて、つま先をモゾモゾ刺激するものがありました。
「何かな、靴の中に蟻でも入ってるのかなあ・・・」
靴を脱いでみました。
するとビックリ、体長3cmほどの芋虫が這いずっていたのです。
つま先が尖っていない、つまり隙間のないフィット感のあるパンプスだったので紙一重でつぶしてしまうところでした。一体どこに潜んでいたのでしょう。履くときは気がつきませんでした。

夕方、林に面した道を歩いていたら、茂みの中に丸く茶色いものが生えていました。
それはジコボウ(きのこ)でした。こんな平地できのこ狩りができるなんて。
早速、夕食にうどんに入れて美味しくいただきました。

後で思いました。
これは昼間小さな命を救う事が出来た、その恩返しじゃないかと。
どんな小さな虫にも命があります。小さな命を大切にしましょう。

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2005年10月18日 (火)

プロレスが取り戻してくれた絆

通院するようになってから、隠し事が多くなってしまった。
友達には告白できても、身内には心配をかけるといけないから、病気のことを黙っていた。私のうちから車で1時間ほどの場所に、父を亡くしてから私たちを何かと支えてくれた母方の親戚の家がある。
母とは付き合いがあるものの、私は高校生の時に最後に行っただけで、ご無沙汰している。まだ遊びに行っていた頃は、隠していたので「進学はどうするの?」などと色々と聞いてきた。私は適当にこたえ、作り笑いでその場をつくろったが、うすうす異変には気づいていたらしい。

母も私も言おうか言うまいか悩んでいた。でもかなり心配性で感情的な人なので、良くなるまで黙っておこう、と2人で決めた。
電話がかかってくると、親戚ではないかといつもハラハラしていた。母が出たが、毎回口論になっていた。

再び昔のような関係を取り戻したい・・・。

4年経った昨年の夏。ようやく告白することにした。母が法事に出かける際、便箋8枚に綴って書いた手紙を託した。内容はお詫びと近況報告。将来のこと、自分の夢、プロレスを観ることが支えであること。渾身をこめて書いた。

そして、次の日親戚から電話がかかってきた。母がでると、どうしてもっと早く言ってくれなかったか、文面からひしひしと私の思いが伝わった、とのこと。泣きながら話していたらしい。心配をかけて申し訳なかった。

「よかった・・・」

私は4年間抱えていた心の重荷が降ろせた。年賀状交換だけの間柄から、以前のようにとはまだいかないが、理解してくれたことで再会できるようになった。それは母も強く願っていたことである。

数日後、親戚のおじさんから電話がかかってきた。
30年来のプロレスファンのおじさんは、私がプロレスを好きになったことを喜んでくれていた。うちはGAORAが見られないので、全日中継の音量を上げて、電話口から聞こえるようにしてくれた。

武藤選手と西村選手の試合であった。

「聞こえるか」

「聞こえる」

スピニング・トーホールドがでると、おじさんはドリー・ファンク・ジュニア選手を思い出すと言う。私は、いまも現役なんだよと教えた。

受話器から実況と観客の歓声が聞こえる。週プロ、ゴングで読んだ試合写真が浮かび上がる。試合中に瞑想をする選手を見たのは初めてだよ、と言っていた。

男手がない我が家の力になってくれていたおじさん。父親がわりだね、とおばさんと母は私に話し掛けていたものだ。

手紙だけではない。プロレスが取り戻してくれた絆でもある。


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2005年10月17日 (月)

秋の夜長にブログ

”たかちゃん”改め”たかこ”にしました。

今後ともよろしくお願い致します。

処方薬の影響で飲み会の回数がめっきり減った私(おかげでブログが日課)。
いつも声をかけてくれる男友達とも電話だけで済ませることが多くなった。

「俺は、酒と女とペットがいたら最高だから」

と話す友達は年下なのに、セカンドバッグを小脇に抱え、口調は近所のオジサン。ちょっかいをかけられても、どこか憎めない愛嬌が彼にはある。今度ペットショップを始めるとか。うまくいくといいね。

いつも居酒屋が定番だったのに、誘われるがままにクラブらしき所に連れて行かれ「○○ちゃん、いつもの!」ってボトルキープしてあった焼酎を飲む様は、君は中堅サラリーマンか!とツッコミを入れたくなる。
そこは、ほとんどが常連客。雰囲気になじんだ私は、書きたてホヤホヤの原稿をホステスさんや友達に読んでもらった。酒の場が”黙読会”にはやがわり。でも真剣に読んでくれるからありがたいね。
私より若いホステスさんがいる。年配のお客さんの十八番にあわせて、昔の曲をたくさん知っているのはさすが!石原裕次郎、川中美幸・・・が流れている環境で育った私もわからない、そうとう昔の曲だ。相手をよい気分にさせる話術と、どんな客にも臨機応変に対応している姿に感心させられる。

5月の末以来行っていない。みんないい人たちだけど、私はタバコの煙が苦手である。居酒屋だけだったらいいんだけど、二次会で帰ってくると服にタバコやら、味の濃い料理やら、いろんな臭いが染み付いてくる。

彼から電話がかかってきた。

「久しぶりに飲まない?」

「いいよ、薬飲んでるから。飲酒してはいけないことになってるんだよ。彼女はできた?」

「ぜーんぜん。たかちゃんが紹介してくれないからさ」

「みんな彼氏いるんじゃないかな。ほとんど地元にいないしさ」

「でも一人くらいいるでしょ!」

「うーん・・・。でも恋愛経験豊富だから、○○くんならすぐにできるよ」

「いいや、俺シャイだから」

「なに言ってんの! (笑) だってほら前、両手に花よ、つって携帯画面見せてくれたじゃない」

きっと私など頼らなくとも自力で彼女が見つけられるんじゃないかな。

昨年は彼のおかげでプロレス観戦が出来た。来月も誘おうかな。
気の置けない友達の一人であるから、飲みすぎには気をつけてもらいたい。

今日の薬 アナフラニール メデタックス 正露丸

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2005年10月16日 (日)

懐かしい恋心と写真

午後、集会の帰りに読みたい本があるので探しに行った。お目当ての本を探し当てることはできなかったが、もう一つの目的があった。同じ場所で昔の知り合いの方の写真展が開催されていたのだ。

写真の撮影者は、もうずい分会っていないけれども、少し知っている人。面識がある人。多くを知らないのに、どんな人物か語るのは失礼にあたるかもしれないが、温かい人だ。
その人と目が合うたび、胸の鼓動が高鳴る。想いを寄せていた人である。

相手はどう受けとめたか分からないが、ラヴレターを何通か書いた。ありったけの感情で熱い指先からペンを走らせた。毎回、一週間もしないうちにお返事が来た。全て、自ら撮影した写真のついたポストカードで。
当時の自分は返事が来る事だけでもありがたいのに、内容に物足りなさを感じた。文は声も表情もない。ただ相手に対する感情が強すぎたから、返事にそんな印象を受けたのだと思う。裏の文章を読んでは、表の写真を何度も何度も照らし合わせた。やはり、大切な人から来た手紙にかわりがない。
部屋に飾った写真をしばらく眺めていた。温くもりが伝わってくる。

今は恋心から人生の先輩へ尊敬に似た感情を持っている。
最近、数年ぶりに手紙を出した。覚えてくれていて、お返事が来た。読んで、あの頃とは違う感情を自分は持っていると改めて実感した。

今日の写真展を観て、やはり温かい人だと思った。あの頃の私と今日の私は、変わったかもしれない。でも通じているのだ。写真が教えてくれた。

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2005年10月15日 (土)

愛○出版ってなくなったの?

「私の詩」「思いのままの詩」を随時募集していた、東京・渋谷の愛○出版って、もうなくなってしまったんですか?
今年の3月にはあって、メールで応募したんですけどね。いや、アレは詩というより、ただの文か(そんなことは別として(^^ゞ)どうしちゃったんだろう。
まあ自分でも調べてみよう。

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2005年10月13日 (木)

私の好きな街諏訪

所用で諏訪へ行ってきました。おそらく春以来でしょうか。
真っ先に諏訪湖畔を散歩しました。
今日は雲ひとつない晴天で、真っ青な空と湖面の間が溶け込んでそれはそれは、素晴らしい景色でした。
散歩コースは諏訪湖に隣接する街、岡谷、下諏訪、諏訪がなんの隔たりもなく360度一望できるんです。パソコンのやりすぎで、前回訪れた時は晴れていたのにもかかわらず、遠くまで見渡すことができませんでした。「視力が落ちてしまったなあ」と落胆しましたが、そうではなく目薬のCMでやっていたピントフリーズ現象とよばれるものだったのかもしれません。杞憂に終わりました。

青い空、広がる芝生、紅葉しはじめた山。風もここちよく、そんな陽気に誘われて多くの人々がいました。私は犬と子供が大好きです。
とっても小さなヨーキー、茶色いプードル、パピヨン、ミニチュアダックスフント、あとものすごく大きな犬で名前は分かりませんが(たぶんボルゾイかな?)顔が長めで毛もロングの犬が散歩に訪れていました。立ち止まって眺めていると、通りすがりの人もニコニコしながら犬を眺めています。大きな犬は、珍しい種類で飼い主の方も心持ち誇らしげに歩いていました。
ベビーカーの赤ちゃんも可愛いし、よちよち歩きの幼児もたくさんいました。自然と顔がほころんでしまいます。
素晴らしい陽気に、平和な光景。私はそのひとときを味わいながら、おいしい空気を吸ってきました。

もし引っ越すなら、諏訪湖が見える場所に行きたい。それほど好きな街です。
かつて通っていた病院も好きな街にあるから、苦痛をやわらげたのだと思います。電車の窓から諏訪湖が見えると、全身の細胞が喜ぶのが分かります。中央東線・上諏訪駅を降り、西口を出て、温泉街をひたすら南に歩くと日赤病院があります。ゆとりがあれば、来た道とは違う路地裏散策をしながら帰るのも一つの楽しみでありました。パン屋に古着屋にラーメン屋にうなぎ屋。観光地なので、明らかに地元の人ではないと思われる人々もたくさんいます。散策しているのに夢中で体の症状の事などすっかり忘れていました。それに、行きつけの薬局に素敵なお兄さんがいて、毎回親切に対応してくれるのが嬉しかったですね。電車の発車時刻がせまるまで、よくコンビニで立ち読みをしていたものでした。

病院通いというとマイナスなイメージがありますが、むしろ普段より五感がさえていた私でした。しかし、重症でそれどころではない方にとっては苦痛以外のなにものでもないでしょう。そういった面では私は恵まれていたのだと思います。
今回は時間の都合で並木通りや湖明館通りへは行けませんでした。あと高島城にも行きたかったですね・・・。
次行ける日はいつでしょうか。兎にも角にも、心を元気にしてくれる諏訪に感謝です。

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2005年10月 9日 (日)

涙そうそう

今年の1月15日。それこそ応募締め切り寸前まで構想を組みたてて、応募フォームから送った。TBSの涙そうそうのエピソード募集。6855通ものお便りが寄せられたそうだ。ドラマを観終わったが、私の送ったものと共通する部分がたくさんあり嬉しかった。もちろん採用されたのは、私の作品でないが。
生まれる直前に父が急死。母子家庭であること。祖母も母も大変な苦労はしたが、精神的な部分では平凡で幸せだったこと。私自身も、父がいない環境を不幸に思っていないこと。そして、登場人物の名前が自分と同じであるのに親近感を覚えた。

私が送った内容は、昨年の暮れに他界した祖母との絆を描いたものだった。
小学校にあがるまで、祖母は同居してくれていた。そのおかげで母は昼間安心して、働けたし、寂しい思いをせずにすんだのだ。
母と祖母の支え、親戚や、地域の人々の支えがあり私は大変助けられた。父親がいないことで、友達は哀れみや同情をもっていたが、それがイジメにつながることはなかった。

これは強がりではない。私を「可哀想」だと見る人間のほうが、不思議であったから。一般的な家庭は父と母がいる。両親がそろっていても、日常茶飯事、夫婦ゲンカが絶えない家庭のなかにいる子供はどんなに不憫だろう。現に、友達が「たかちゃんちってお父さんがいなくていいよね」って言った子もいる。亡くなった父は、どんな人だったか母や祖母から聞いた。写真の中の人になってしまうと、マイナスな思い出は薄れ、優しく美しい思い出が濃くなるようだ。父の話を聞いて私はそう感じた。

母は、橋田寿賀子ドラマなのを喜んでいた。母も私も、自分らと重ね合わせながら最後まで見ていた。

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2005年10月 7日 (金)

THE WINDS OF GOD

今井雅之さんが、作・演出・主演を務めた舞台 THE WINDS OF GOD が、今月1日、千秋楽を迎えました。
3ヶ月間の長丁場でした。キャスト・スタッフの皆様どうもお疲れ様でした。
私は、7月16日、松本文化会館へ観に行きました。舞台に出演する役者さんからご招待を受けたのです。
舞台なんて、高校の芸術鑑賞会以来でしょうか。なにしろ、人中で定位置についていなければならないのが症状の関係上むずかしいので、席を確保するのにも色んな方々の協力が必要でした。まず会場に問い合わせ、そのあと主催者のFOB長野さん、誘っていただいた役者の方からも主催者側にお願いしていただき、後ろの席を確保する事ができました。大変ありがたかったです。

ストーリーを簡単に紹介します。
『アニキとキンタは売れない若手漫才コンビ。2005年8月1日、交通事故に遭った二人が目覚めると、そこは第二次大戦末期の1945年8月1日の日本。神風特攻隊員だった前世の自分にタイムスリップしてしまったのである。戦況が悪化する中、残り少ない戦闘機を使って、敵空母を撃沈するために飛び立って行く若者たち、平和な時代を生きていたアニキとキンタには、理解できない世界だった。
アニキを岸田中尉、キンタを福元少尉と呼ぶ特攻隊員たちは、二人を記憶喪失だと信じ、必死に記憶をよびさまそうとする。
突然突きつけられる「死」という現実。ある者は任務に忠実であり、ある者は神に祈り、ある者は心に奥に疑問を抱きつつ、それでも一人また一人と散って行く。過去と未来の狭間で運命に翻弄され、己の無力さに歯がゆさを感じる二人。ついに二人にも零戦に乗る日がやってきた。はたして、アニキとキンタの運命は・・・。』

舞台は、アニキとキンタの漫才シーンから始まります。プロの漫才師のような、コンビネーションのよさで観客は大笑い。その土地土地にあったローカルネタを随所に織り交ぜたり、遅れてきた観客に向かってツッコミを入れたりと、アットホームな雰囲気にいつのまにか引き込まれていきます。

タイムスリップ後は、未来から来たアニキとキンタと隊員たちの会話がかみ合わなくて笑ってしまう部分があるのですが、二人が状況を把握し始めると一転します。”命”とは”平和”とは・・・戦争の時代を知らない我々に訴えかける、切ないシーンになります。隊員たちのなかには、私よりも若いまだ10代の人もいるわけです。愛国心を胸に、愛する家族、恋人を守るため、若者たちは命もろとも敵艦に突っ込んでいきます。海へ空中へ、命は散ってゆきました。
以前、特攻隊のドキュメントをテレビで見たことがあるのですが、旅立つまえ、家族にあてて想いを綴った遺書が写りました。のりがないかわりに、自分の血糊で封がしてありました。
私が舞台を鑑賞して感じたのは、いつの時代も”愛”が存在し、想像もつかない過酷な状況の中で厳しい訓練を受けた隊員でさえ”死ぬのは恐ろしい”ということ。そして”いつの時代も若者は葛藤しもがき苦しんでいた”ということです。平和な時代の中でしか生きることのできない私は、過去の戦争の時代に生きることはできません。しかし、戦時中の心身ともに追い詰められた人間が生き抜く逞しさ、つまり自分の前世が、この血の中にも流れているのではないか。そう考えた時、前世からずっとつながっている命を大切にしたいと思うのです。
周りの隊員たちは様々な想いを抱きながら死んでゆきました。アニキとキンタも2人一緒に零戦に乗り込みました。結局キンタは死んでしまいました。
そして、現代に戻ります。アニキが回想しているシーンは、キンタとの友情の深さを教えてくれます。

大掛かりな舞台セットはなく、シンプルなつくりだったので、役者それぞれの存在感がありました。
役者さんたちは、この舞台に備え自衛隊に体験入隊しました。舞台中もオフの日でも『肉錬』とよばれる厳しいトレーニングに励み、体を鍛え続けていたそうです。ハードな動きもたくさんありました。本物のように、隊員全員の動作がビシッとそろっていたのは素晴らしかった。2000席ある大きいホールの一番後ろの私にも、しっかりと声が届き、役者さんの息を切らす音が聞こえてくるようでした。

終了後はスタンディングオベーション。感動と涙に包まれ拍手が鳴り止みませんでした。
主演の今井雅之さんが、声を枯らして挨拶をしました。
「この舞台は17年前に初演され、2001年を最後に終了させようとしていたが、そんな矢先、9・11アメリカのテロ事件が起きた。新聞紙上でKamikaze Attackと表現されたことが非常に悔しかった。年々色褪せるべき作品なのに、逆に世の中がこの作品に近づいてきている」と再演に至った経緯を語りました。
挨拶の終わりに「No More War」と叫んだ自衛官出身の今井さんのお言葉は、言葉では言い表せない重みがあります。

舞台終了後、スタッフに案内されながら差し入れを持って楽屋に行きました。招待してくださった役者さんに挨拶をし、握手をして別れました。
お忙しい中、お会いしてくださり、ありがたかったです。心の波動が伝わりました。今年の夏、最高の思い出です。心から感謝しております。
エルトンジョンのYOUR SONGを聞く度に、7月16日が頭の中によみがえります。

ドラマ版は先月、終戦60年ドラマスペシャルとして放映されました。来年には、映画も公開されるそうです。 

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2005年10月 4日 (火)

レイザーラモン氏

連日お茶の間を賑わしているレイザーラモンHG。私は彼のような芸人さんが出てくるのを待っていたのです。グラサンに甘いマスク、185cmの長身、筋肉のつき具合、足の長さ、声のトーン、黒いコスチューム、そしてあの甲高いフォ~! の掛け声と、時に激しく、時に緩やかな腰のふり。どれか一つでも欠けてしまったら彼でなくなってしまいます。芸人寿命はどうかと思いますが、全てにおいてパーフェクトな芸人です。この人ほどインパクトの強い芸人さんは他にいないでしょう。

同志社大学在学中は学生プロレスで活躍し、新日のT選手の好敵手だったとか。吉本興業所属で、このキャラクターになる前の彼の写真を見たことがありますが、普通の青年といった感じです。普段は誠実な方だそうですし、あのキャラクターになろうと彼を駆り立てたものは一体なんだったのでしょうか。

精神の均衡を図る為にレイザーラモン氏のビデオ録画集を見ております。安定剤というか、アニマルテラピーならぬ・・・こういう場合なんと表現したらよいのか、ハードゲイテラピーとでも言えばいいのでしょうか(こじ付けだな、おい)。細木数子氏との対決はガチ過ぎました。あの細木氏の前でM字開脚座りをし、芸風を貫いたのは称えるべきでしょう。そして先日なんの番組だったか彼の印象深い一面を拝見する事ができました。アジャコングさんからのラブレターを読んでいるVTRで、その誠実な人柄をうかがわせる対応が素敵でした。

11月のハッスルでデビューをするそうですが、プロレスをやっている彼も見てみたいものです。でも今回は無理だろうな、相手がインリン様だし。

おっと、切々とキーを打っていたらレイザーラモン氏が降臨しましたよ。今日の精神状態フォ~!

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2005年10月 2日 (日)

カズ選手

気がつけばもう10月。今朝は雲が多く雨が心配されましたがなんとかお昼までもち、地域活動の一つとして草刈に参加してきました。秋の過しやすい陽気の中でやる外仕事は気持ちいい。駐車場だったのですが、抜くのが大変なところはおじさんに草刈機でかってもらい、我々力のない女の子たちは隅のフェンス側、土がやわらかいところを刈ってゆきました。けっこう大勢集まり、一時間半ほどで終了。駐車場もすっきりしましたが、少しでも地域のお役に立てるのが嬉しく気分までも清々しくなりました。

さて、今夜からスタートした「スタメン」にカズ選手が生出演されてました。小学生の頃、Jリーグが開幕しプロ野球人気に追いつく勢いで世の中はJリーグブーム。その中でも、ヴェルディのカズ選手は大スターでした(過去形になってしまいましたが、今も大スターです)私もファンとなり、連日テレビ中継に釘付けでした。それまでは、野球をすることが多かったのですが、遊びで男の子に交じってサッカー・フットサルをやるようになり朝から放課後までめいっぱい動かしてました。今からすると想像もつかないほどの運動量です。サッカーの授業で、日頃の遊びの甲斐あっていい感じのシュートが放てたのは気持ちよかったです。一番人気は、カズ選手。特に男の子はヴェルディのTシャツ、帽子などをつけていたものでした。私も、Jリーグ選手名鑑を買い、Jリーグチップスを食べてカードを集めていたのですが、中々お目当ての選手のカードが入っていなくて悔しい思いをしました。北澤豪選手のサッカー教室を見学しに行ったり、長谷部選手とベルマーレの野口選手のサインを持っています。Jリーグ人気が下火になるとサッカーを見る機会が減ってゆきました。

そして最近になって、恥ずかしながら、カズ選手が現役でプレーされている事を知ったのです。引退しましたが、イタリアのバッジオ選手と同い年ですか。私が小学生の頃、夢中で画面を追いかけていた方が今も活躍されている。いつまでも挑戦し続ける姿勢に熱いものが込みあげてきました。そしてなにより、カズ選手と同世代のお父さんたちが彼の姿にたくさんの勇気をもらっているそうです。これからのさらなる活躍に注目したい。

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