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2005年11月30日 (水)

諏訪へ

朝、早速ローソンへ行き、週プロとゴングを立ち読みする。
やっぱり、午前中に行くといい。表紙が汗で湿っていないし、折り目もついていない。表紙がピンと張っている。手にしたときのネトッとした感じが毎回気持ち悪いので。

その後、諏訪市へ。
まず日赤病院に行く。
前回行ったのは、今年の5月だった。
その時は、窪塚洋介主演の映画「同じ月を見ている」のロケ隊がいた。

かつて4年近く通った思い出深い場所。
治療を受けるためではなく、懐かしくて行ってみたくなったのだ。
広い駐車場の向こう側に大社せんべいの工場がある。車を降りると、甘く香ばしい香りが漂ってくる。
電車で通っていた頃は、なんせ田舎なので電車の本数がない。診療を終えると早歩きで腕時計をにらみながら駅へ向かったものだ。

診察に待たされて、電車を一本遅らせてしまったら、いつもある行動に出た。
4階から8階は病棟である。入院している方、看護師、見舞い客、その他職員等、さまざまな人間模様をこの目で眺めたくてエスカレーターに乗る。

今日も病棟へ行ってみた。
最上階のラウンジからは、諏訪湖が一望できる。
「ここは諏訪湖花火大会の特等席だよなあ」毎回そうつぶやく。
*諏訪湖花火大会は、毎年約45万人の観客で賑わい、見物のために一年前から各宿泊施設に予約が入るらしい。

左側に中年男性がひとりテレビを見ていた。右側のテーブルに目をやると、国語辞典のとなりに右肩をホチキスで止められた、手書きの原稿用紙があった。
名前で男性だとわかる。楷書のとても優しい筆跡だった。
表面の文字をざっと読んでみた。胸に染み入るものがある。(勝手に読んでしまって申し訳ない)
外来患者のように外出の自由がない。外の世界に思いを馳せた内容であった。ボールペンの文字ひとつひとつに心が投影されているようだ。

いつだったか、このラウンジで中年男性の患者が、大きな笑い声を上げて将棋をさしていた。横にいる看護師さんに「○○さんたら」って突っ込まれながら。

この病棟。ひっそりとした佇まいとは裏腹に、毎日24時間様々な出来事があるだろう。笑顔、喜び、痛み、苦しみ、孤独。別れ......。
それをこの病棟はいつも目撃している。全てを知っている。

外来患者には計り知れないものが存在する場所。良い意味でも良くない意味でも。ラウンジの窓から覗く、群青色の湖面に患者はなにを思うだろう。

私は、病棟へ足を運び、五感を研ぎ澄ますことで、いろいろなことを悟る。

上諏訪駅を降り、病院まで歩いた道にも行ってみた。
冬も夏も、風を感じて通った道。

諏訪市は私が大好きな街。
楽しみと、症状という名のスリルをいつも持っていた。行っても症状がでた場合、帰れなくなる事もある。
「そのときは、そのときだ。駅の公衆トイレで一泊しよう。いや、病院にお願いして空き部屋があったら一泊させていただこうなどと考えた」

電車に乗っても上諏訪にたどり着けるか、病院についても待合室で無事に待っていられるか。行けても帰りの電車でパニックにならないか。

楽しみと不安は紙一重。症状がでたら事態は一変する。

四季折々の景色を眺めながら。薬局のお兄さんのことを思い浮かべながら。今晩の夕飯は何をつくろうかしら・・・。そんなことを考えながら歩いた。
冬の寒さは慣れている。歩くうちに体が温かくなる。
夏は、照りつける太陽。30度を越す猛暑。駅から病院にたどり着く頃は汗だくになっていた。水分補給をしないと脱水症状を起こしてしまう。
そんな時は自然とDEENのSUNSHINE ON SUMMER TIME が頭の中に流れ、口ずさむことで紛らわせた。

そんな思い出に浸った後、買い出しに鮮魚市場に行った。
新潟・寺泊直送の鮮魚類である。
師走に入ると大変混み合い、駐車場が満杯になるので、平日のそれもお昼時間に行くのが望ましい。といってもけっこう混んでいた。
年末が近づくにつれ商品の値が上がるので、冷凍できるものは今のうちに買っておいた。

諏訪の地理はある程度知っている。

「左に見えますのが、高島城でございます。その裏に○○ベーカリーという美味しいパン屋さんがあります」

「右前方に見えますのが、○○文学賞でおなじみ○○新聞社でございます」

「皆様、お体の調子が悪くなりましたらご遠慮なくお申し出くださいませ」

助手席でバスガイドの真似をして、ドライバーを楽しませた。

ここのコンビニは電車を待つ間、雑誌の立ち読みをして時間をつぶした場所だ。

ここのコンビニは、バイト前に友達と朝食を摂ったんだよな。

えっと確かここは、予約時間より早く着きすぎて、安全ピンを買ったところだな・・・。

言ったらキリがないが、車で通り過ぎるたびに、その場所のエピソードが次々浮かび上がるのである。

車だったが、
中央東線から飯田線に乗り換える場所、上諏訪駅から2つ目の岡谷駅周辺にも行った。
しかし、お目当てだった駅前のマックはつぶれ、ショッピングセンターも空き店舗が多い。
随分来ないうちにさびれてしまった。
そのかわり、少し離れたところにローソン、ファミレス、長野にしては珍しい
ファミリーマートができていた。
上諏訪駅前のマックもつぶれてたから、諏訪地域のひとはマックを食べる機会が減ったと思う。

そんなわけで、今日は思い出にひたり、買い出しをした日であった。

さて、夕食の準備だ!

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2005年11月29日 (火)

失礼致しました...

今日の未明の症状は治まりました。

自分は今、大きな課題を抱えています。
ネットなので、プライバシーの問題もあり、書くことは出来ませんが。

自分だけではなく、皆さん孤独と戦っているんですよね。

失礼いたしました。

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苦しいよ~

布団に入っていたが、動悸と息切れが激しくて窒息しそうになった(>_<)

誰か助けてくれ~~

手元にある睡眠薬2錠飲めば治まる。でも依存するから控えている。

一体いつまで続くんだろう?

一生治らないのか?

自殺した友達も、全く同じ症状で、一生治らない病気だと知って悲観していたらしい。

背中をさすってもらいたいけど、母を起こすのは悪いし、鳩尾さすりながらパソコン打っています。

ブログしか助けを求められない。甘えるのもブログしかない。

孤独な戦いですo(>0<o)))

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2005年11月28日 (月)

プロフィール見てください

プロフィール更新しました。

年表のようにして、自分の可能な範囲でさらけ出した感じです。

今までよりずっと赤裸々・・・ですね。

これからもよろしくお願いいたします。

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9歳の遺書

意地っ張りの君は、人に迷惑をかけたくないから、悩みをすべて一人で片付けようとしていたね。一人では重過ぎるでしょう?
たまには甘えていいんだよ。メンツなんて気にしなくていい。みんな君の事をちゃんとわかっているから。ちょっとやそっとでは離れていかない。

人一倍繊細な君は、みんなに弱虫といわれて、悔しがっていたけれど本当は強い人だった。
人が苦しんでいるのを黙って見ていられなくて、自分を犠牲にしてまで、相手の事を思いやったね。そんなに頑張らなくていいよ。

寡黙な君は、皆の前では気持ちをうまく言葉に出来なかった。
家に帰って一人の部屋でワンワン泣いたね。
伝えようにも伝えられなかった内に秘めたメッセージ。涙となって次々と溢れ出てきた。

学校に行けなくなったと聞いて、親戚のおばちゃんが早速駆けつけた。
目が合うと、泣きながら私に抱きついてきた。
「学校に行けないことって大変なこと」幼い私は、ひしひしと感じた。

「学校へいくことがどれだけ大事かわかったの。でもね、そこは刑務所のようにとても恐い所なの。一生のお願い。学校を休ませて・・・」

お母さんも、おばちゃんも学校に行っている私が好きで、行っていない私は嫌いなの?

学校に行っている私も、学校に行っていない私も、両方ひとりの私なんだよ。
どうして、私を2つに切り裂こうとするの?

学校に行っている私だけが好きだったんだね。
もっともっと小さい頃から「たかちゃんのこと好きだよ」って言ってくれていた。

でもその好きは、そんなにもろいものだったの?

私はもっと強い好き。
何があっても切れない。強い愛がほしいと思った。

私を2つに切り裂く大人たち。
彼らの中では、完全に私という人間は2人いるんだな。

9才の小さな胸は傷だらけになった。ヒリヒリして血が流れている。
小さな体には重過ぎる現実。

冷たい涙の海で溺れかかった。未来は見えなかった。
よく死なないで生きてこれたと思う。
幼くて知恵もなかった私が、どうやって生きていたのか思い出せない。

9歳の私へ。

きっといつかは晴れる日が来るだろうって出口のないトンネルの中でも、イメージした日もあっただろう。小さい体で毎日を精一杯生きていたと思う。君が生きるのを諦めなかったから、今の私がいるんだよ。

生きててくれてどうもありがとう。

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2005年11月27日 (日)

幸せのものさし

2、3年ほど前に詩というか、ただの文というか、心の叫びを書きなぐったものがあったので載せたいと思います。
私、青春してるなぁ。

「幸せのものさし」

基準が周りの大多数の人間でなくなれば
どんなにのびのび生きられるだろう

地位とか名誉にこだわるものさし
折ってしまうことが出来たなら 人に嫉妬することもなくなるだろうに

自分で自分を追い詰めてる
時々自分でも自分がわからなくなる

「こうでなくちゃいけない」 強いこだわりに縛られているから 
楽しいことも楽しめなくなってしまった

ありのまま そのままの自分を素直に受け入れられたなら
すべて丸くおさまるのに

冷静な自分に戻ったとき そんな自分が嫌いになる

「遅咲き」と「早咲き」嫌な言葉だな
そんなこと言う周りに流されてしまっているだけなんだ

もっとしっかりしたポリシー持っていたなら
ストレスだってうまく対処できそうだ
人生も楽しくなりそうだ

若くして地位も名誉も手に入れてしまった人がいる
人生の4分の1も生きてないのにトップになってしまってどうする?
今が絶頂だとしたら あとは降りてく一方でしょう

格好だけの幸せだったら長続きはしない
自分じゃなくて周りから与えられたものに永続性はない

私は思う
夢を手に入れた時より 夢を追いかけている時のほうが楽しいんじゃないかって

人から好かれても 尊敬される人になりたいと思わない
常に注目され自分を手本とされるのは 息つくヒマもなさそうだから

いまの私が定義する幸せとは
周りがどう動こうと流されない人
苦悩も苦悩と感じない自分をしっかり持った人だと思う

くやしいよー。26日中に載せられなかった。

*後半変えました。

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2005年11月25日 (金)

お気に入りの曲

昨日、心のシグナルに初めてやってきて、記事を読んだ人が「この人、なんなの?」って言うのは目に見えることでして、今日から通常のブログに戻したいと思います。自分のイメージが壊れていきますんで(苦笑)

本日はタイトルどおり私を支えたミュージシャンを紹介します。

私が影響を受けた、ミュージシャンは、DEEN、尾崎豊。全く違うジャンルで、コーネリアス(昔、小沢健二とバンドを組んでいた方)です。
他にも宇多田ヒカル、ケツメイシなどたっくさんいますが、一番思い入れが強いのはDEENです。最近はロッテの監督・ボビー氏が大ファンだということでも話題になりましたね。01年~03年にかけて毎日のように聴いてました。

ボーカル池森さんは、三本の指に入るほど私の好きな声です。DEENの詩のほとんどを書いてます。池森さんの詩は、どれも素直で心がキレイで、こんな男性に愛された女性は幸せだなと思うのです。

ギタリストの田川さんは、ソロとしてCDを出しています。Global Grooveというアルバムの「BYAKU-YA」はサークルKのテレビCMのタイアップ曲で耳にした方もいると思います。 彼が作ったLOVE FOREVERという曲は最高です。ちなみに大のプロレスファンでもあります。ノア中継で客席で観戦している姿が写っていたこともありますね。

キーボード&コーラス担当の山根さんは、好みのタイプで恋焦がれた人であります。彼の作曲したものだけを集めてオリジナルアルバムを作りました。男性とは思えない美しいハイトーンボイスはしびれます。ひいき目で言っているのではなく、彼の曲はどれも素晴らしい。特に、君の心に帰りたい、Blue eyesは、一人でも多くの人間に聴いていただきたいです。
山根さんの影響を受けて、というか真似をして、私はお酒を飲めるようになったんですね。彼の実家は居酒屋です。

昨日クリスマスの話をしましたが99年に発売された「Christmas Time」は、毎年この時期に聴きたくなりますね。
脱退したドラマー宇津本さんが最後に作曲したThe Roomは、クリスマスの雰囲気を高めてくれます。白い雪、イルミネーション、素敵なカップル・・・。目を閉じれば、心の不純物が取り除かれ、幸せな冬の光景が瞼の裏に浮かびます。曲の合間にCHRISTMAS TIME~morning light~・CHRISTMAS TIME~twilight breeze~・CHRISTMAS TIME~evening snow~が入ることで、ストーリー性が出てきます。ある素敵な恋人の幸せなクリスマスの一日が、ドラマのように美しく連想されるんですね。

長々書いてますが、聴いた事がない人にとっては、なんのことやらって感じですね。
クリスマスの一ヶ月前なので、「Christmas Time」を紹介させてもらいました。機会があったら、気が向いたら、レンタルして聴いてください。

このページで紹介したアルバム、曲は全部オススメです。
LOVE FOREVER・君の心に帰りたいは、「I Wish」というアルバム。Blue eyesは「 Ballads In Blue - The Greatest Hits Of Deen」に入っています。

「I Wish」のSUNSHINE ON SUMMER TIMEは私の夏のテーマ曲でした。日赤病院まで通っていた頃、炎天下で汗だくになり、のどがカラカラになっても脳内にこの曲が流れることで、私の背中を押してくれました。

昨日の名誉挽回はできましたかね。

P.S 西村修選手の入場テーマ曲、HEAVEN KNOWSは、DEENと同じ会社で同じ時期に活躍していた元FIELD OF VIEWのメンバーさんが作曲されたそうです。びっくり!!

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2005年11月24日 (木)

危険なクリスマス

昨日からマッチョドラゴン♪が頭から離れません。バカの一つ覚えのように口ずさんでます。
前奏の部分から、腹が小刻みにゆれだし、藤波さんが歌いだすとMAXになりますね。この曲は、繰り返し何度も何度も聴くことで腹筋運動になります。便秘をしている方にオススメです。そして聴きなれて、腹がゆれなくなった頃、無我の境地に入れます。

さて、今日は24日ですか。
あと一ヶ月でクリスマスじゃないですか。今年はどんなクリスマスになるんでしょうか。家族と?友達と?それともラテンチックな......。

私はかつて郵便局でアルバイトをしていました。
それも、先輩に誘われて、朝早く快速に乗って、遠くまで通っていたのです。
クリスマスイブの夕方、イルミネーションに彩られた街を歩き、駅のホームに入っていくと、様々な人間模様を目撃するのです。
彼氏のいない私が、カップルなんぞ目にしたものなら腹の中で中指を突き立ててました(嫉妬深かったものですから)。

「風邪にも負けず、便意にも負けず、あたしゃ明日もあさってもバイトだよっ!もう、チャラチャラしやがって!ハァンッ!」

その頃の心境を詩にするとこんな感じです。

『左に今まさに行為に及ばんとする未成年あれば
行ってカンニング竹山ばりに、ろくな大人になれんぞっ!と憤慨し

右に手を繋いだカップルあれば
間に忍び寄って小橋ばりのWケサ切りチョップで断ち切り

上にハシャグ20代カップルあれば
松坂ばりの剛速球をなげてやり

下にいちゃつくバカップルあれば
天山ばりのダイビングヘッドバッドを見舞ってやり

そういう畜生ものに
わたしはなりたい』

まあ私も血気盛んな年頃でしたからね。

念のために言っておきますけど、マッチョドラゴンを聴きすぎて、頭がおかしくなったのではありません。

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2005年11月23日 (水)

えっ!中西・蝶野選手が同級生?!

学校が舞台になった夢を毎日見るというのは、先日書きました。
薄暗い校舎の中を歩き回って、いつものように憧れていた先生を探すのですが、ちっとも登場してくれないのです。
おととい、ついに先生と夢の中で会えました!
それも、とろけてしまいそうなほど、甘~いシチュエーションで・笑
(ブログにいちいち書くようなことじゃありませんけどね(;^_^A )

私が階段の踊り場で倒れていたのかな。それを先生が見つけて、お姫様だっこをし、階段を駆け下りていくという内容でした。
夢なんだけど、相手の体温だとか私の体を抱える手の力が、伝わってくるんだよね。

いつから学校が夢に出てくるようになったのか分からないほど、毎日毎日、これでもかってほど必ず出てきました。
暗い内容ばかりだったので、嬉しくて仕方がありませんでした。目覚めた後、布団の中で涙ぐんでしまったほど。

そして昨夜というか、今日の未明。くりーむしちゅーのオールナイトニッポンを聴きながら寝ました。今夜も先生が出てきてくださーい、と念じながら。
すると、プロレスネタが多いラジオを聴いて寝たせいか、小学校の教室に蝶野選手とか、若手お笑い芸人がいて、どうやら同じクラスのようなのです。
一人ずつ、前に出てって自分の描いた絵を発表するんだけど、お馴染みのアリストトリストのグラサンと全身黒ずくめ(あのまんま)の蝶野選手が小さい椅子にかけ、笑顔で拍手を送っているのです(爆)。

そして、その日は卒業式で、TBS学校へ行こうの「 未成年の主張」のような感じで、先生が一人ずつ屋上から校庭の卒業生へエールを贈るのです。
憧れの先生も2日連続で出て来てくれて、男泣きも見せてくれました(感涙)。

面白かったのは、裸の大将の格好をした筋肉隆々の中西選手が、近くにいて、熱いまなざしで屋上を見つめていたことでした(爆)。
これもラジオで、さんまのスーパーからくりTV「中西の焼肉相談亭」の話題が流れていた関係もあるのでしょう。

中西選手と蝶野選手が同級生なんて夢のような学校ですね・笑

それにしても、ラジオでかかってた藤波辰巳選手の「マッチョドラゴン」が耳から離れない。

鮮やぁ~かに決まるわぁ~ざは~ ナァ~イフの切れあじィ~
あ~いを胸に秘ィ~めて 力に挫ィ~けない
ファイトを見せぇ~てやるぅ~
マッチョドラゴン 立ち上がれっ!
マッチョドラゴン 風をよべっ!

マッチョドラゴン 燃え上がれっ!
マッチョドラゴン 空に舞えっ!

嗚呼、離れない、離れない・・・・・・。

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2005年11月22日 (火)

自己レス

あっ今の「フゥ~」ってタイトル、レイザーラモンHGの真似じゃないよ(笑)。

ため息。

”フゥ~”って書く人もいるけど、私の場合”フォ~”だから。

パソコン閉じようとしたら、気がついて爆笑しちゃったよ。

新着一覧を見て、間違えて訪ねてきたHGファンのみんなゴメンよ。

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フゥ~

今年の夏。
ある会社のお偉い方にオファーをした。
自己紹介文と熱い意気込みを会社のメールフォームからその方宛へ送ったところ、翌日さっそくご本人からお返事をいただいた。

凄くビックリしたが、舞い上がる気持ちであった。
とても誠実で、丁寧なご感想までいただいた。それに「忙しいのですぐにお返事が書けないかもしれませんが」と前置きをして、個人的な連絡先まで書いて下さったのである。

私は「これからその方と接するということは、毎回オーディションのような感じになるのだろうな」って身構えてしまった。
その日その日のありったけの力量と情熱を注いだ。相手は「身構えなくていい。なんでも気軽に言って」とリラックスさせてくれた。そのうち、親しい先輩に悩みを打ち明けるのに似た感覚で、毎回ぶつかっていった。

ところがある日、深夜に半狂乱になりかけ自分に「落ち着け!落ち着け!せっかく信頼関係を築けることが出来たのだから。お願いだから治まって!」
理性のあるもうひとりの自分が、必死に叫ぶのだが、心も体もいうことを聞かない。その状態のまま相手に接してしまった。自分の弱点を露呈してしまったのだ。

返事は「いまの状況からすると、今すぐあなたにお仕事を依頼する事はできません」とのこと。
「やってしまった・・・」すぐさま謝罪と必死の弁明をした。その件を挽回するため、改めて自分の思いを熱く語った。するとありがたいことに、今まで自分がやってきたことを認めてくれていて、再び真剣にお互いの意見を交換できるようになった。

そして、いつになるか未定だが、約束をした。
「あなたの名前忘れないよ。ちゃんと待っています」
素晴らしい言葉を残してくれた。

本来なら、その方の立場から言って、マンツーマンの意見交換は難しいというのに、多忙な中、接してくれたことがありがたい。心から感謝している。

数ヶ月たった今、事の重大さを自分は痛感している。寝ても覚めてもそのことで頭がいっぱい。

特殊な分野である。私が住んでいる田舎には、まずいない。相談しようにも出来ない状態だ。

この夜空の下、私と同じように戦っている人はどれくらいいる?

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2005年11月21日 (月)

日記が滞ったときは...

昨年の9月にパソコンが故障し、ハードディスクを全て取り替えました。
画面が真っ暗になり、マニュアルにしたがって何度も何度も実行しても、同じ言葉が表示されるばかりで、落ち込みましたよ(>0<)
普段どれだけパソコンに依存していたか痛感させられました。完全なパソコン依存症です。

4年前にヤマダデンキで購入。居間の一角をドドーンと占領し、母親の視線を尻目に立ち上げからプロバイダー契約まで自分でできた。
その後は何か疑問がないと、マニュアルを開かない状態で、すべて自分流に使いこなしてきた。本体に負担をかけてしまったんだろうな。
すぐ近くにテレビもあるし、なにしろ夏と冬の気温の落差が激しい。夏なんて部屋を閉めっきりにしているから、帰宅して温度計を見ると39度にもなっている。冬は顔の寒さで目が覚め、居間の温度計に目をやるとマイナス4度をさしてるし。

修理に出して、店員に言われたのは「あともって2年でしょうね」
衝撃の余命宣告であった。
昨年の9月だから、じゃああと10ヶ月ってこと・・・。
起動させるたび、本体からのウイーンとか、キュイーーンという奇声におののきながらも、なんとかもっている。

でも、店員から衝撃の余命宣告を受けてから、大事に大事に扱うようになったので10ヶ月の余命を超えてみせます。

*ブログが一週間以上経っても更新されない時は壊れたんだと思ってください。私じゃないよ。パソコンがね・苦笑

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2005年11月20日 (日)

Qちゃんのコメント

高橋尚子選手が東京国際女子マラソンで優勝した。
テレビをつけた時にはすでに、国立競技場に入ってくるシーンで、ビデオ録画しておけば良かったと後悔。

ゴールシーンはシドニー五輪を彷彿とさせた。
当時、待ち受けていた報道陣に「どうもお疲れ様です」と声をかけ、その腰の低さと人柄の良さが報道された。
私も、高橋選手のコメントは自分の正直な気持ちを語っているようで好感が持てる。好きなスポーツ選手のひとりである。

ゴール後のインタビューが非常に素晴らしかったので、各スポーツ紙のHPでインタビュー記事を探してみたが、数行しか載っていなかった。

なので、うろ覚えではあるが、自分の言葉で書きたいと思う。言葉が前後したり、ニュアンスが違ってるかもしれないが、その辺はあしからずm(_ _)m

『いま暗闇にいる人や悩んでいる人、一日だけの目標でも3年後の目標でも、 何でも目標を持つことで、すごく一日が充実すると思います。 どうか夢を持って、一日を過ごしてほしいと思います。 私と同じ世代、中高年の方々も24時間という時間は、皆さんに平等に与えられた時間です。一日の時間を精一杯生きて、充実した一日にして下さい』

リアルに胸に響いてきた。
高橋選手は、この2年間暗闇のなかにいて、何度も引退を考えたそうだ。
長い長い道を走り終えた後でも、とても清々しい表情で、応援してくれた方々への感謝とこのようなメッセージを贈る姿は素敵だった。

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2005年11月19日 (土)

眠れる日々

4日と5日の夢のような出来事から、2週間。

あれほど、飲まなきゃいられなかった睡眠薬を一回飲んだだけで、残りの13日間は飲まなくても眠れる日がつづいている。
毎日一定量以上を飲み続けていたので、今年の1月は平衡感覚がなくなり、真っ直ぐに歩けなくなってしまった。折りしも、母が腰痛になり、家事の一切をしなければならなくなった。地に足がついているのか分からない浮遊感が一日中続いたまま、仕事をやっていた。

このまま常用し続けたら、取り返しがつかないことになる。
しかし、祖母の死、頭の血管が切れそうなほど1ヶ月以上続いた友人への憎悪、友人の自決。短い期間にたくさんのことがありすぎた。

保健婦さんから「この薬は依存するんじゃなくて、共存する為の薬なの」と言われ、飲み始めた。それが、もはや依存する薬になりつつあった。
止めた期間もある。生理中とその前後は、わりと眠気がでてきて用いなくても眠りにつける。
それが過ぎると、また飲み始める。日によっては一定量より多めに。その繰り返し。

飲用して一時間すると、眠気をもよおしてくる。
効いている間は、トイレに行くにも真っ直ぐに歩けなくなる。6時間持続の薬だから、目覚めは重くなく、スッキリしている。

このところは水なしで、唾液をため込んで飲み込んでいた。

あの日から2週間。
温かい笑顔に触れ、握手をし、返事もいただいた。一瞬、魔法にかかったようだった。

よく使う言葉だが、改めて使いたい。

『人に傷つけられた心は”薬”ではなく、人との触れ合いで修復されてゆくのだ』

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2005年11月18日 (金)

孤独も自分への宿題

動悸・息切れが止まらない。
でもPCの電源入れて、ブログ書いているくらいだから、まだマシなほうだ。
改めて自分がいま置かれている立場に気づき、孤独が襲ってきた。
それを紛らわすために今、ブログを書いている。

私はある目標を持っている。
つまり”前に向かって生きてゆく”根本が存在しているから、目標もある。
目標に進んでゆこうとするからこそ、この孤独に出合った。

孤独も自分への宿題。

これは、人が助けようにも助けられない特殊なもの。

この世界にいま、私と同じ特殊なものと戦っている人はどれくらいいる?
答えは全部自分の中にあると思う。その答えを探す過程で味わうこの孤独。

それは病気の事じゃない。

自分の信念あるのみ。材料はいっぱい転がっているけど、それを創り上げていくのは容易じゃない・・・。

とりあえず、作業を一休みしよう。

もうすぐノア中継も始まるから。

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2005年11月17日 (木)

三澤トレーナーのコラム

今週のゴング、三澤トレーナーのコラム読みました?
見た瞬間アレッ・・・この写真って三田佐代子さんじゃないの?。
編集側のミスですね。どう見ても三澤トレーナーじゃありませんから(苦笑)
本文の内容は「よく自分がHGと似ている」といわれるとのことでした。理由はHGを彷彿とさせる服装を偶然しているからだそうです。(といっても、もちろんあのHGのコスチュームじゃなくて、帽子やサングラス、黒系の服を身に着けているということです・笑)

他にも蝶野選手、高岩選手、真壁選手に似ているといわれるようです。以前、会ったおばさんに最後まで蝶野選手だと信じこまれていたとか・・・。
でも、一番言われる言葉は「犬顔だね」とのこと。

4日に初めて三澤トレーナーを生で見たのですが、たしかにHGに似ていたような・・・。身長高いし、現役引退されても素晴らしい体しているし。
うーん、顔も少し似ているように思いますね。でも2人とも甘いマスクです。

終わりの西村選手のエピソードは面白かったです。
酔っぱらってコンビニに入り、西村選手から「顔のカラーコピーをとる。それに目をつぶってはいけない」と言われ、三澤トレーナーは促されて実行しました。
出来上がった自分の顔のコピーを見て思ったそうです。

「やっぱり蝶野選手に似ているかな・・・」と。

三澤トレーナーのコラム、オススメです。
不定期連載ですが、週刊ゴングの白黒ページに載っています。
そしてたまに、他のプロレス雑誌にも取材などで文章を提供しています。

今日の薬 アナフラニール メデタックス
       薬に関してはこれからもじっくり様子をみたいと思います。

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2005年11月15日 (火)

やっぱり違う

昨日記述したように、メデタックスとアナフラニールを飲んで寝たのだが、やはり違う。夢も覚えているし、胸元が苦しい。
アナフラニールを飲んで20時間がたった昨夜、薬の効果がきれてきたせいか、再び動悸と息切れが始まった。

本当に原因がメデタックスにあるのか。調べてみたが、副作用に上記の症状は表示されていない。
今日はまた、アナフラニールを夕食後に2錠飲んで確かめたい。
大切な事だから慎重に。

紀宮さまのご結婚の模様が各局で中継されている。
皇室は、我々からすると雲の上の存在なのだが、美智子さまと紀宮さまの親子愛が伝わる映像を拝見し、母と私を重ねてしまった。親と子の関係は、どこの世界でも変わらない。親近感が湧いてくる。

皇室の番組は、いつも私の心を安定させてくれる。

36年間過されてきた皇室から民間へ。
お言葉や表情に、決してお出しにはなりませんが、心中が伝わってくるようです。様々なご苦労があるかとは存じますが、紀宮さま・黒田さん末永くお幸せに・・・。

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2005年11月14日 (月)

祝50回・何なんだこの感覚 

今日はめでたい。50回記念!
喜んでるのは私だけか・・・・・・苦笑

というわけで、いつもと変わらないブログをつけるとしよう。

2年まえから慢性的な動悸と息切れに悩まされている。窒息しそうな時もたまにある。
その原因が何なのか、思い当たる節を探しているのだが、決定的な原因が一向に見つからない。

そこで、もうどのくらい振りなのか忘れてしまったが、日赤に通っていた時のように、昨晩アナフラニールを2錠飲んでみた。
すると、どういうわけか、目覚めからして違うのである。特筆すべきは、雑念が浮かばないこと。昨日まであった頭の中の不純物がほとんどない。

人は眠っているうちに必ず夢を見るという。「夢を見なかった」というのは間違いで、「夢を覚えていない」という表現が正しいらしい。
私は、昔憧れていた先生が載っている新聞記事を枕元に置いてある。
関係しているのかどうかわからないが、必ずといっていいほど夢に学校と関わりのあるものが出てくる。ちゃんとしたストーリーがあって、目覚めても布団の中で、しばらくその余韻に浸っている時もあった。

アナフラニールを服用してから、起きると、さっぱり覚えていない。今日の未明に布団に入ってから、起きるまでの間がまるで空白なのである。

嬉しいのは、あんなに悩まされていた動悸・息切れ・窒息感がない。かすかに胸元の苦しさを覚えるだけである。

それがホントにアナフラニールを2錠飲んだことに根拠があるのか。
今夜はいつものように、メデタックスとアナフラニールを1錠ずつ飲んで、確かめてみたい。

さて、そろそろ夕食の準備にとりかかろう!

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2005年11月13日 (日)

細く長く生き延びる術

お母さんのマネージャー兼雑用係の私は、おかげ様で家事や炊事もある程度でき、母を超える(?)倹約家に育ってしまいました。
比較的女の子は男の子よりも、親からの用事ごとを任されることが多く、何かと時間を分断されやすいのではないでしょうか。

歳が近い友達に話すと、毎度おばさん扱いをされるので、隠してはいるのですが、ここでは言える範囲を告白したいと思います。

我が家は、その日の献立を決めてせっせと買物に行くタイプではなく、週末にまとめて食材を買ってきます。
そのため台所、洗面所、風呂場などの生活用品が不足し、何を週末に補充しなければならないか、毎日、把握していなければなりません。
冷蔵庫を開けて、卵が残りいくつ。豆腐が半丁しかない。あっ、ポン酢が4分の1になっている。
肉と魚がどれだけ残り、野菜はあと何日分もつか。計算をしているのです。

火曜日には近くのスーパーの均一セールの広告。水曜日にはホームセンターとドラッグストア。木曜日・金曜日は各スーパー、価格の争奪戦が行われます。
これは安いっ!と思ったら、その日に買いに行きます。
そして土日には水曜日からのチラシを集め、目を凝らし、厳選し、母に教えるのです。「○○は、Aスーパーが安いよ。あとこれは、○○スーパーで買うより、ドラックストアで買ったほうが断然お徳だよ」

足りない品がどこで安く、素材も良いか。買物リストをメモの左に書き、買う店名を右に。箇条書きにするのです。

10代の頃は徹底して、価格重視でした。なので、友人が一度に様々なデザインのプリクラを撮りたがるので、「これじゃあ、2回で鯵が3匹買えるよ」と腹中で呟いたことが多々あります。なんというセコイ女子高生でしょうか・・・。

今は価格プラス素材。例えば、米を買う時は「これは県外産のあ○たこ○ちで安いが、こっちは県内産のコ○ヒカリだ。10kgだったら、あ○たこ○ちが断然安いけど、地元なのが安心だから5kgのコ○ヒカリにしよう」という感じです。

算数・数学が苦手なのに、お店に入ると足りない脳をフル回転し、歩く電卓と化すのです。なんせ、生活かかってますから・・・。

追伸 こんな具合ですが、贅沢できるとこは、贅沢しています。そんな日は、おのずと現われる電卓を追い払って。

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2005年11月12日 (土)

学校って......

家事を終えて、テレビをつけたら「たけしの日本教育白書」をやっていました。

私も学生生活はあってないようなものでした。小3の終わりから中2にかけて。そして高校に入ってからも学校を休みがちでした。
年間50日以上欠席していたという事です。中3から専門クラスに通い始め、辛うじて勉強の遅れを取り戻す事ができました。皆と足並みそろえて県立高校に入学しましたが、自主退学後は、担任から残りの学年で使う教科書をいただき、自学自習してる時期がありました。

私が学校で味わった苦痛と、大人になってからの独断を数ヶ月前に書いたのでコピーします。

本来学校という場所は、小学校入学前の6歳の子供が抱く希望にみちた
楽しい場所でなければなりません。
それが理想の学校像です。
しかし、そこが傷つき、苦しむだけの場所になってしまったなら、そこは
もはや学校ではありません。
人権を学ぶ場で人権を否定され、個性が破壊されてしまう。
なぜ平凡に生きている無実の人間が、処刑所へ毎日通わなければいけ
ないのでしょうか。
義務教育とは言いますが、こうなってしまえば学校へ行けないことは致し方
ないことで、勉強、同世代の子供との交流は、学校以外の場所
(中間教室、フリースクールなど)でも可能です。
それに心が病めば、当然体にも表れてくるので、人間にとって欠かせない
食事がとれなかったり、睡眠もできなくなれば、もとの元気な自分に戻るまで
治療しなければなりません。
理解者もなく、心優しい子供であれば人に悩みを打ち明けて迷惑をかけたく
ないなどという理由から、自殺を選んでしまうケースもあります。
もしくは、いじめの加害者を恨み、学校を恨み、そんなシステムをつくり上げた社会自体を恨んで、犯罪をおかすケースもあります。

これが現状なんですよね・・・。

未だにどういうわけか、夢にでてくる学校は薄暗く、夢の中でも私はビクビクしています。いつ早退しようか、黒板の上の時計をにらんで隙をうかがっているのです。心の安らぎを求めようと、憧れの先生を探しますが、なかなか現われてくれません。

なにはともあれ、自分の過去について反省点はあっても、後悔はありません。全てが心の栄養になっているのですから・・・・・・。

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2005年11月11日 (金)

バッチコ~イ

本をパラパラめくっていたら、こんな詩に出合った。

『弱さは人の共感を誘わない。

努力と強さと冷静さが 人々の共感を呼び起こし

人々の慈悲を引き出すのだ。

これが戦いの方法であり 勝利の道である』

しばし熟考......。

鬱のときは、神経を逆なでされる言葉だな。
でも今だったら、真っ向から取り組んでいける。これもひとえに自分を支えてくれる人たちのおかげだ。

ネットを通して、普段だったら絶対に出会えない人たちと知り合えた。
それによって、情熱を取り戻す事ができた。
このブログも、腸が弱い人の会(なんだそら?)の同志のアドバイスによって始められたのだ。Sさん、どうもありがとうございます。

今年の8月までいつも観覧側だったので、筆者になれるとは夢にも思っていなかった。毎回ブログをつけるのは、一つの修業。

今日は、センチメンタルな文を書こうとしていたのに、完成してみれば、お笑いネタになっていたり...。ブログが芸人魂を呼び起こしてくれた。

なので、これからも続けていこう。
どんな苦難が迫ってこようが、バッチコ~イ!の精神で・笑


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2005年11月10日 (木)

大切な人の死

私はこの運命とも呼ぶべき、様々な壁にぶち当たり、人生の勉強ができていると思います。
つまり、どんなに苦しくとも、辛くとも、のちに自分の人生観・価値観に反映されているんです。

差別を受けました。親・親戚からも理解されず、出口のないトンネルに入ってしまったような暗闇を知りました。

「不登校を乗り越えた」「いじめを乗り越えた」「病気を乗り越えた」
そういった体験談を目にしても、励まされるどころか急かされてる気分になるだけでした。

深い暗闇に閉じ込められている人間に、外からの光は入らない。
人が励ましてくれてもそれは、ブラックホールに吸い込まれていくだけ。

昨年、友人を亡くしました。
私よりも声のトーンが高く、いつもニコニコしている子でした。ひまわりのような子で、心の奥に潜む暗闇を私は、見抜くことができなかった。
その子が地元に戻ってからはメール友達になりました。多くて一日数回ほど交換していましたが、そのうち返事が遅れるようになり、一ヶ月に一度になりました。久しぶりにメールをすると、送信エラーが表示され、その後、音信不通となってしまった。
手紙を出しても返事が来ない。

頭を駆け巡る嫌な予感。
しかし、それは「体調を崩してしまったのかな」という程度だった。

今年の1月。
一本の電話が鳴った。
母がでて「えっ・・・」と言って、絶句してしまいました。その声に、咄嗟に振り向くと母は、動揺した表情で必死に相手をなだめ始めました。
会話内容からすぐに、友人の事だと察知しました。母のもとに寄って、耳をすますと受話器から微かに泣き声が聞こえてきます。
昨年の夏、私の知らない間に友人は旅立っていってしまいました・・・。

そのすぐ1か月ほど前に祖母をなくしました。
94歳の死と若き死。
強烈なコントラストに私は、眠れない日がつづきました。夜になっても電気を消す事ができず、部屋に朝日が射す頃までつけっぱなしでした。
3週間ぐらい続いたでしょうか。夜になるとものすごい恐怖と悲しみに全身が震え、紛らわすためにTVの音をイヤホンで聞き続けました。

気づいてあげられなくてゴメン・・・。

のちに共通の友人から聞いた。

「もう限界だった。生きてること自体が苦しかったの。だから、楽になれて良かったと思う・・・」

私は友人を責める気持ちはなんにもない。
ただ、ただ、楽になれて良かったね。同じ言葉しか浮かんでこない。

心が美しかった。純粋であればあるほど、他の人が避けることにも、真っ向から入り込んでいった。嫉妬も悪口もいわない人。
その透明感に吸い込まれそうだった。

人の魂は、この大宇宙に溶け込んでまた生まれ変わるなんていう。

魂は永遠。

この言葉を信じたい。

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2005年11月 9日 (水)

唇の荒れの対処法

唇の荒れがひどく皮が剥けまくっています。
私の唇は乾燥しやすいので肌身離さずリップクリームを持っています。外出する時はもとより、家にいても居間から自分の部屋に移動するのにも、必ず右手に握っているほどなんです。(狭い家なのに・・・)

パックリひび割れてないだけいいのですが、上唇の皮が上から下へ剥がれ落ち折れてしまっています。しかも何箇所も。なので、リップクリームの油分だけでは補えず、たまに唾をつけてふやかしてあげないと、下唇に刺さる感じで、呼吸も苦しくなります。
やっかいなのは、舐めれば舐めるほど荒れがひどくなると言う事です。
おかげで今日は一日中、唇に意識がいって、絶えず口を開けたり閉じたりして、呼吸のリズムが完全にずれてしまっています。

人と顔をあわせなければならないと、リップグロスを多めにつけて「この人天ぷらでも食べたの?」っていうような口になっていました。
でも、透明度が少ない、リップグロスに出会えた事で対処できました。それは、コーセーのファシオ シャインスティ グロスです。たっぷりつけても、わりとテカテカしません。
いまは化粧で誤魔化せるのでいいのですが、子供の頃は気になりました。
人の目線が口にいってるのが分かります。舐めれば悪化し、よく「血が出てるよ」と言われたものでした(苦笑)

自分の場合、炭水化物類ばかりを摂り、ビタミン類が不足していると、すぐこの有り様です。
とりあえず、ビタミンB2を補給して、経過をみようと思います。

P.S 全く関係ないのですが、新日の裕次郎選手が4日の試合であごを2箇所骨折しました。おそらくデビューして初めての怪我ではないでしょうか。本日、手術をしたそうですが、どうかお大事になさってください。

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2005年11月 7日 (月)

デカッ!

母が友人から、なめこをもらって来ました。
茶色けたビニール袋にしこたま入っていたので驚いた。
しかも、そのなめこの大きさが普通じゃない。直径5cmくらいあろうか。
今年は、天候の関係できのこの自生が遅れているようで、この時期でもきのこ
狩りができるんです。
スーパーに並んでいるなめこしか、手にしたことがないので、調理方法に困りました。

表面が粘ついてて、葉っぱだとか、ごみがたくさんついているので、その作業も少し手間がかかります。

しかし、なめこの調理法は、なめこ汁しか知りません。というか、山菜そばなどに混じっているだけで、ゆでる以外調理法がないですよね?
(まあ、味でアクセントをつけることもできますが)

大味ではなく、けっこう美味しくいただきました。自然の味です。

またあの道を通った時、目を凝らして、ジコボウを探してみようかな。

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2005年11月 6日 (日)

よろこび

一昨日、そして昨日の出来事が大変嬉しく、心の底から「生きていて良かった」と叫びたい気分です。

いつのTV番組だったか忘れたが、無機質なナレーションがやけに耳に残った。
『素晴らしい体験によって過去の苦しみも辛かった日々も一つ一つが消え去ってゆくようだった・・・』
まさに、今日の私はこのフレーズが当てはまる。
過去のことが、いつも付きまとっていたのにそれがない。魂が再生されたような、上手く言葉にできないけれど、今までに味わった事のない感覚だ。

一昨日の午後の出来事すべてが、夢の国。2005年11月4日を胸に刻んで、道程を歩んでいこう・・・。

この場をかりて、改めてお礼を言いたい。

母、力になってくれた女性、尊敬する人、関わってくれた人、本当にありがとうございました。

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2005年11月 5日 (土)

プロレスラーとのふれあい

私の元気の源は、プロレス観戦、プロレスラーとのふれあいです。
本日は、地元で新日の試合がありました。
地元と言っても家から車で1時間40分ほどの距離で、けっこう遠いんです。
昨年は友達を誘っていきました。行きの車中で「どうして、K1じゃないの~」なんて言っていましたが、帰りの車中では「けっこう楽しかったよ」といってくれました。

前回は友達が連れて行ってくれましたが、今回は足がない。
しかも、すべて指定席で、自分の体調にも自信がなく、出発する寸前まで迷っているような状態でした。
そんな時です。折りしも最近知り合ったプロレスファンの女性からTEL。
前々から、今回の大会について色々と相談に乗ってくださった方です。
その方のアドバイスが後押しとなり、母の車で行くことを決めたのです。

会場までの行き方は、地図を見ながら念入りにチェックしていました。私がナビゲーター役です。しかし、途中で道を間違えてしまい、コインランドリーにいた地元のおばさんに道順を聞いて無事に辿り着くことができました。

いつもプロレス観戦をする際は、当日の体調により無理な場合もあるので当日券を購入しています。
今回は、選手には申し訳ないけれども、入り待ちをさせていただき、お手紙を渡すだけとなりました。また体調が万全な時に試合をじっくり観させていただきたいです。

体育館に到着して、まず誰か選手や関係者がいないか見回しました。
田舎だと、たまに周りを散歩していたり、入り口からのぞける体育館の廊下に選手の姿が現われたりするんです。最初に目に入ったのは、マーティー浅見レフェリー。今日も金本選手と一緒にきたのでしょうか。

手紙を渡したい選手は、西村修選手。
体育館の当日券売り場の方に聞いてみたところ、選手の到着はまだとのこと。しばらく車内で待つことにしました。その間もリングやの遠藤さん、関係者らしき人を見かけました。

待つこと20分くらいでしょうか。
なんと、西村選手が自家用車に乗ってやってきたのです。
以前、ビデオで拝見した高級車。「本物だ!」慌てて駆寄って行きました。
(東京から運転してきたのですね。どうもご苦労様です。)
大きいボトルのポカリスエットを抱えて出てきました。西村選手は、笑顔で私の話を聞いてくださり、手紙を受け取ってくださいました。
そして最後に握手をしていただきました。その場にいたのは男性と私だけ。他に大勢いたならば、お話しなんて出来なかったでしょう。非常にラッキーでした。本物は大きく、手も厚みがありました。人から聞いていた通りの素晴らしいお方でした。感激して、今も余韻が残っているんです。

その後、CTUのメンバーとチームJAPAN・外国人選手をのせたブラックのバスが到着しました。元WWEの選手、スコット・ノートンはやはりデカイ。永田選手、ブラック・ストロングマシン(たぶん)、稔選手、三澤トレーナー、名前が分からないのですが、覆面をかぶった選手が数人降りてきました。
一番最後に降りたのは、後藤洋央紀選手。私はブログを読んでいます。
サインをお願いしたら快く応じていただき、すみに団体名と日付までいれていただきました。「ブログ読んでますよ~」「頑張ってつけてくださいね~」なんて声をかけたら、相槌を打って、ニコニコしていました。
大変ありがたかったです。

本隊バスは、来なかったので裏口からでも入ったのでしょうか。
あと山口リングアナウンサーも、自家用車で来て「ああ、疲れた」と関係者と雑談をしておりました。

このように、選手の様子を確認して、多少のゆとりがあるようならふれあいが出来ます。会場によってはガードが厳しいところもあるようですが・・・。
以前もゼロワンの選手、小島選手など他団体の選手にもサインに応じていただきました。特にAKIRA選手には、良くしていただきましたね。

今回も我ながら、西村選手・後藤選手によくあれだけ話し掛けられたなあと家に着いた今、思っています。

いつもプロレス会場で一緒になり、顔見知りになった方とも連絡先の交換も出来て素晴らしい一日となりました。

今日出会えた皆さん、そしてお母さんに大感謝です。本当にありがとうございました。

今日の薬 アナフラニール メデタックス 正露丸   
       半年振りに飲酒。睡眠薬は飲めない。
 

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2005年11月 3日 (木)

HGフォ~ル勝ち!

いま、スポナビの速報をざっと読みました。
13分0秒、掟破りの逆M字固めでインリン様からフォール勝ちを奪ったそうです\(*^o^*)丿
もともとプロレスラーを目指していたというHG。
キャラクターをキープしながらも、ヘッドシザーズをかけたり、ボディースラムなどを繰り出したそうで、そのへんはさすがですね。
ああ、実際の試合映像を観たい・・・。多分明日のワイドショーでやるでしょうね。

先日、番組で暴走した江頭2じ50分相手に三角締めをかけていました。
初めてプロレス技かけている姿を拝見したので感激しました。
今後の動向にも注目したいです。

そして、和泉元彌さんもケンゾー選手に空中元彌チョップを決めて勝利をおさめました。
やはり素人なので、セコンドでコーチでもあるAKIRA選手のアシストを受けての勝利だったそうですが、怪我をしなくてなによりでした。

横浜アリーナ満員だったそうですが、なかにはプロレスにあまり関心のない人もいたと思います。これもHG効果でしょうかね・・・?

では今夜はHGの勝利を記念して、これで締めたいと思います。

3、2、1、ハッスル、ハッスル、フォ~ッ!

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2005年11月 2日 (水)

髪型はじっくり決めよう

ブログにたいして書くようなネタじゃないが、今日、美容室に行ってきた。
私の場合「髪を切る」というより「髪をすく」と表現したほうが、しっくりするように思う。なんせ髪が多くて厚いので、雨の日なんか、起きて鏡を見ると、「こりゃ、バケモノか」ってほど広がっている。
中学時代、薄毛が気になりだしたという男の先生から「たかこさん、今度髪切ったら、とっておいて先生に分けてよ」といわれたものだ。
薄毛で悩んでいる人はよく聞くが、髪の量が多くて悩んでいるなんて、贅沢だろうか。
洗髪した後、毛先を中心に洗い流さないトリートメントをつけて軽く乾かし、さらにムースを6回~8回プッシュして使うのが日課であった。

今日は混んでいなかったのでじっくりやっていただき、大量の髪が出た。
髪をすすぎに、立ち上がって下を見ると座っていた椅子の周りにドサッと髪が広がっていたので、驚いた。「こりゃ、スッキリするはずだわ・・・」

行きつけの美容室というのは特になく、毎回違うのだが、今回行ったのは、思い出深いエピソードがあるお店。(自分の中では人生の珍伝説・第3位くらいにランクインされている)

私はもうここ数年、真っ黒の髪なのだが、10代の頃は「他の人と変わったことをしたい」気持ちが一段と強く、このお店で、思ってもみなかった注文をした。ソファで順番を待っている間、何冊ものヘアカタログを読みあさり、どんな髪型にしようか選んでいた。
「まずくせ毛をなんとかしたい。今日はお金に余裕があるし、なんかこの店居心地がいいな。店員の愛想もいいし・・・」

「お待たせしました。こちらへどうぞ」
美容師さんに案内され、「どういたしますか?」と聞かれた私はなんと「こんな感じにお願いします」とヘアカタログを指差した。

店員「ワッフルパーマですか?」
私「はい、お願いします」

店員は少し驚いたような表情をした。そして、何やら奥の方に行って、先輩らしき美容師さんに相談をしている様子。
数分後、鏡で頭の形、髪の長さを見ながら、様々なアドバイスを受け、かけることになった。
椅子に座り続けること、5時間・・・。
私は黒人歌手のような髪形になっていた。自分でもびっくりした。

「ちょっとイメージしたのと違うな・・・」
昨日の自分からは予想もできない、変わり果てた自分が鏡に映っている。
しかし、パーマをかけた限り、今日から数ヶ月間はこの髪型のまま、日々の生活を送らなければならない。

「よしっ!冒険をしようじゃないか!」
このことに関しては頭の切り替えが早く、鏡で髪型を眺める癖がつき、気がつくと髪の毛をいじるようになった。友人もさわってくるようになった。
フワフワしていて、柔らかくて、触り心地いいんだよねーーー。
今となっては「ああ、アレはね、若気の至りってやつでね」とか、格好つけて「他人と違う事をしたいという気持ちが、こうなんて言うかな・・・髪型に具現化されたというか・・・」などと言える。

パーマをかけて同年代の子は「いい」と言ってくれる子もいたが、大人には不評であった。あまり田舎では見かけない髪型だから。
「人を見た目で判断しないでほしい」という、不良の気持ちが少し分かる気がした・苦笑
それにしても凄かったのは、乾いている時はいいのだが、洗髪する度パーマ液の匂いが復活することだ。2ヵ月その匂いが消えることはなかった。

これもいいエピソード(伝説)として残っているが、あのような髪型にする予定は今後ない。いや、自分の事だから断言できない・笑

*ちなみにワッフルパーマとは、三つ編みパーマともいう。文字どおり髪を三つ編みにしてかけるパーマ。毛束をほどくさざ波のような細かいウェーブが生まれる。

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