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2005年12月31日 (土)

テレビ欄

お料理の用意が落ち着いてきたのでブログを書いています。

今年も数時間で終わり。悔いの無い良い年だったと思います。

今日のテレビ欄見たけれど、紅白歌合戦の出場者まったく知らなかったわ・・・。高校サッカーの県代表校はいまだ知らない状態。一回戦の勝敗が分かって始めて知る感じでしょうか。
今年は格闘技も見たいし、お笑いも見たいな。毎年録画する番組もあるけど生で見たいと思う。録画してもそのまま見ないことが多いから・・・。

明日は毎年のように会場の出入り口で紅茶やお菓子を配る予定。

今日は忙しいのでこの辺で終わらせたいと思います。

料理作りの再開です!

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2005年12月30日 (金)

餅つき

さっきまで餅を作っていました。
餅つきといえば杵と臼だと思います。
うちはそれが無いので餅つき機で全部します。もち米を一升磨いで、水にしばらく浸けます。釜の下に水を入れ、釜にもち米を入れて炊きます。
炊き上がったら、餅つきの開始です。三角の形をした軸が動き、もち米がコネコネされ、震えだします。まざってきたら餅をつきだすのです。
なんか釜の中の白い物体がプロレスをしているような感じです。
バックドロップ、パワーボム、もちつきパワーボム、バックドロップ、パワーボム、もちつきパワーボム、バックドロップ。その連続ですわ。

新日の餅つき会、一度見てみたいです。
力のある選手達がつくのであっというまに餅ができるのではないでしょうか。選手達が調理している姿も拝見したいものです。リングとは違う一面を見ることで親近感が沸くのではないでしょうか。サイン会、撮影会までできるのがいいですね。私も世田谷区に住んでいたら絶対行きます。

出来上がった餅は母が全てやりました。
米の粉を引いて厚さが均等になるよう棒で伸ばしていき、切ります。形・大きさは様々です。いま出来上がったものが近くにありますが、愛嬌がある餅たちです。これで一日一食は餅になりそうです。

明日は午前中から買いものです。もう明日で今年も終わりなんですね。反省会もこめて母とお年取りをしようと思います。

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2005年12月29日 (木)

今年の冬はボレロでいこう!

タイトルと今日の記事は全く関係ありません(笑)。
気に入ったボレロがあるので、下に少し派手めのものを着てこの冬を行こうという思いです。

この時間に帰ってくると洗濯物がカチカチに凍ってますよ~。
遅くに洗濯したのがいけないけれどストーブで乾かす羽目になるのです。
今年は寒さが厳しいですね。夜になると窓が凍りついてデカイ雪の結晶みたいなものもあります。
私は外で見かけるこんな人を尊敬します。
倖田來未さんの影響を受けているのか、この寒空の下、胸が大きく開いた服を着ている人がいます。コートはもちろん着てるんだけど、胸の谷間が見えそうで、ふくよかな胸が歩くたび、ブルンブルン揺れてます。羨ましい~。
自分は夏にタンクトップを着るけど、なんか痩せた身体が目立つんです。冬は冷えるので隠したいだけ隠しているのにそういう子って自信があるから着れるんでしょうね。

昨夜はいつもの薬と睡眠薬2錠を飲んで就寝。
昨日は初めて体験する事がありました。自分の判断だけではなんとも言えないけれど前々から予感はありました。
そんな気持ちを紛らわすため眠るまでテレビを見ていました。ロケでロバートがスキー場に設置した小屋に一人ずつ入れられました。室温0℃前後という厳しい環境で着ている服を一枚ずつ脱がされてたり、半袖姿で氷点下の外へ出て、特別ゲストの熱い歌を聴いて温まろうなど、メチャクチャなことをやらされていたのです。
見ているこっちまで寒くなってしまいました。芸人さんて過酷な事をやらされて大変だな~って改めて思いました。
エンディングで、寒さを耐えきった3人が用意されたお風呂に入るところを見届けてから寝たのです。

そうしてしばらくいま自分が置かれている事を考えていました。
見ていたテレビとは打って変わって自分の世界に入り込んでしまったのです。
自分を支えてくれている人々を指で数えているうちに涙が出てきました。
今年は多くの出会いがありました。こんな年は最近ありませんでした。胸が痛くなって涙が止まらなくなりました。

ブログを読んでいる方にもお礼申し上げます。
たいへん感謝しております。ありがとうございます。

昔の私は自分の気持ちを上手く口で表現できず、誤解をされていたと思います。学校に行っても一言もしゃべれない日がありました。学校にいる私は魂がどこか行っていたんでしょうね。毎日ではないと思うけど。

いまは自分を表現できるようになった。
このブログも昔の可哀想な私、子供だった私が気付かなかったことを書いているのです。昔の私よく頑張ったね。自分で自分を大事にしなきゃ本当に可哀想だものね。
周りにビクビクすることはないよ。自信を持って!
幼児~学生時代の私に今の私が話しかけ、励ましています。
気が付いたらここ1年・・・そんなことを毎日毎日くりかえしています。

生きてて良かったね。たかこちゃん!!

前日は恐ろしい夢を見ましたが、その後安眠できました。

なんかまとまりのない文になってしまいました。
でもこんな日もあっていいですよね。


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2005年12月28日 (水)

犬の目が・・・

また例の痛みに襲われるのではないかと不安を感じていたがなかった。よかった。年が明けたら病院に行ってみよう。

鎮痛剤を飲む事を想定して薬を一切飲んでいない。
唾液もそうだし、胃の分泌液が増えたのがよく分かる。食事をすると胃酸でヒリヒリする。これが本来の身体なのか薬を飲んでいないほうが慣れていない。それだけ副作用があるのだな。今日からまた薬を飲み始めたいと思う。

あれだけ絵だ!絵だ!と騒いでいたが、下書きの上に彩られたのは絵の具ではなく、折り紙だった(苦笑)。絵の具の代わりに折り紙を貼った。

「絵をお願いします」

毎年そう言われるが、必ずしも『絵』だとは決まっていない。イラストでも貼り絵でもいいのだ。私は『絵』っていうことがいつも頭にあり勘違いしていた。ちょっとクマさんに似た茶色い犬と耳がたれた薄いベージュの仔犬。
クマさんに似たほうは赤い服と青い短パンを穿いている。薄いベージュの犬は前足で「戌」と金色で書かれた黄色の紙を持っている感じ。
両端に2匹がいてその間に折り紙で折った薔薇をたくさん貼り付けた。
上手いとは言えないけれど愛嬌がある作品が出来た。

来年もずっとその先も頼まれそうな気配。
ただ、お世話になっている方々の依頼なので少しでもお力になれるのは嬉しい。

いまようやく終えてひと段落している。
「渡る世間は鬼ばかり」の再放送をやっているけど、小学生の頃のえなりかずきって可愛いな~。抱きしめたくなる。

あっ、一匹の犬の目がえなりかずきに似ているかも・・・。

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2005年12月27日 (火)

顔面蒼白

夕べ、こんな事がありました。
月に一度のものがある前に、いつも鬱になるのですが、それが今回はひどかったのです。身体が重くなり、座り込んでも、一点をじーっと見つめていたそうです。

そういうわけで、お風呂にも入れず睡眠薬を2錠飲んで寝ることにしました。しかし、左半身がしびれて、寝ながら姿勢を何回も何回もかえていました。少しすると、下っ腹が痛くなりました。子宮を圧迫する、キューンとした痛みです。激しい痛みになり、背すじに寒気が走り、指の先から血の気が引いてゆきました。

喉が渇いたのでへっぴり腰で台所まで行き、水を一気に飲みました。するとなんだろう、口の中に水分が染みこんで、乾ききり、舌を動かしても唾液が出ません。砂漠に水がしみこんでいったような感じでしょうか。もう一杯飲もうとしましたが、余力がなく、母の部屋に入ると倒れこみました。

「痛い・・・」

自分の部屋に戻り、布団に入る事も出来ず、枕元で倒れてしまいました。
お母さんがお腹を撫でてくれました。強烈な痛みでした。

今年の6月は母がいないときに強烈な痛みに襲われました。這いずって鎮痛剤を飲みにゆきましたが、一向におさまる気配がありませんでした。

前回のことを考えて不安になりましたが、鎮痛剤を2錠飲むと治まってくれました。

睡眠薬2錠に鎮痛剤まで飲んでしまった。しかし著しい副作用はでてません。
口の渇きと、口がまずいのは続いています。食事が食べられません。

夕べは死人のように顔が真っ青だったそうです。いまはいくらか赤みがさしてきました。

今日は模造紙の絵を完成させなければなりません。どうかこのまま良くなりますように・・・。

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2005年12月26日 (月)

奔放初公開!私の病

ブロチゾラン2錠(睡眠薬)・デパス1錠(頓服)を飲んで、4時間経つといい気分になる。

では私の症状を奔放初公開します(*^^)v
*これらの症状は私の感性を育てるものであり、ブログを書く上でも非常に役に立ってます。愛しきものたちです(´・3・)ノ(o^∇^o)(-ω-)/

●自生思考
とりとめのない種々の雑念が勝手に浮んでくる。自分の意識と無関係に発作的に押し寄せる。頭の中がごちゃまぜとなってまとまらなくなる。

一日中波がある。

●自生視覚表象                     
明瞭な視覚表象が自然と頭の中に浮ぶが、それは過去の体験や空想以外のものである。

たまにある。

●自生内言ないし考想化声
言葉が浮んでくる。それは自然に出てくるがその言葉の内容は全く考えていない事であったり、考えている事の逆の事であったりする。

いつもある。

●自生空想表象
続に言う白昼夢と呼ばれるもので、物語性の展開を有する空想的情景表象である。主として視覚性であり、典型例では患者はそれに没入し気が付くと1時間とか長い時間がたっていたりする。

一時間はないけど、10分~20分くらいかな。

●固有感覚性気付き亢進                  
自分のすることに知らず知らずのうちに意識的になる。無意識にできない。ただ、手を前に出す事や、自分の声を出す事に。

中2のときが一番強かった。今も断続的に続く。

●音楽性幻聴
テレビのCMや小学校唱歌などのメロディーが自然に頭の中に鳴り響く。

好きでもないメロディーが小さく流れる感じ。

●面前他者に対する注察・被害念虜
周囲に人がいる場所で、人から見られている。あるいは人が自分の事を悪く言っている、と感じられるが、被害妄想とは異なり確信度は半信半疑である。

これは子供の頃強かったな。今も人中に行くとたまにあらわれるね。

こんな感じかな~。

あと鬱になったり、動悸・息切れ・窒息感がある。
身体が重い、肩こりなどがあります。

★薬

アナフラニール インプロメン デパス ブロチゾラン

量はその日の症状によって増量したり、1つ2つかけたり、全く飲まなかったり。

★一番の特効薬 

プロレスラーとの触れ合い
持続期間 1週間~2週間

これらの症状・薬は私にとってかけがえのないもの達ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ

一番の薬は、プロレスラーとの触れ合い。
一度会えば1週間は確実に持続しますd(o^v^o)b

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2005年12月25日 (日)

次の日まで・・・

飲酒する日は常用薬を飲まない。頬の内側から、ジュワ~ッと唾液が溢れてくる。口の中がピチャピチャ。でもこれが正常なのだ。薬を飲み続けると、口の渇きが慢性になって気づかない。

昨夜は久しぶりに睡眠薬を2錠飲んだ。
睡眠薬は唾液のみで飲む。それが私のやり方。食道をとおり胃にたどり着くのがわかる。

新日は今年最後の試合だったのか。選手の皆さんどうもお疲れ様でした。今年も元気をくれてどうもありがとうございました。
来年はどうなるんだろうな。ここへきて退団を考え直している選手がいる。本人が決めた事ならどんな答えでもいいと思う。そして充実した選手生活を送ることができたなら、こちらも嬉しい。

来年はプロレスの試合に1回でも行けるであろうか。
安くて5000円~4000円。払えばそれだけのパワーはいただける。けど、しょっちゅう観戦できる料金じゃない。生活が厳しくなる。
いつも前のほうで見ている観客がいるが、普段どういう生活をしている人なんだ。私は症状の関係で絶対に前では見られない。後楽園ホールの立ち見はよく見えるらしい。うちの地元の2階席もリングから近い。全体の図がよく見える。リングも場外乱闘も上で眺めている。

先月の試合も、直前になって行けるようであればと別のお金を用意していたと母はいう。でも選手と触れ合えたのでそれだけでもありがたい。

「自分は見れないのに平然と観戦している人間をどう思う?」母が聞く。
「しょうがないね」私が答える。
母はあまり良く思っていない。私もそれほど人のいい人間じゃない。

イマジネーションをくすぐる材料があるのはプロレスも同じ。ブラウン管で見る刺激と生で見る刺激がある。自分の精神の均衡をはかるため。のちの感性にも影響している。テレビは身体の事情がどうであれ周りを気にせずに見れる。生は実況もなければ解説もない。己の感性のみで見る。他の観客との一体感が生まれる。普段は環境も仕事も性格も違う人間が一人の選手を応援する感じがいい。

生で試合が見れる日まで毎日毎日感性を磨こう。これも全て夢のため。

最後に今夜はクリスマスです。

Merry Christmas!!

クリスチャンじゃないけど不特定多数の人に向けて一度言ってみたかった。

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2005年12月24日 (土)

男性

いつから始まったのかわからないが、昨年の秋まで男性に関心が無かった。
小説を読んでから、少しずつ変化が訪れた。それまでは、男性に触れられるだけで少しの抵抗を感じた。

保育園に勤めている人が
「いつもお迎えに来るお父さんが俳優のだれだれに似ていてねぇ~」
などと話して、聞いている女の子達が目を輝かせている気持ちが不思議だった。今も私は冷めている部分があるかもしれない。

街に出れば、好意をもって接してくれる男性はいる。10代後半あたりから気づき始めた。居酒屋に行ったときだろうか。男性が合図を出してくれて嬉しかった。女しかいない家庭に育ったので、余計に喜びを感じる。

友達は男性が多い。身に付けるもの・話し方・体つき・匂い・・・。どれも新鮮だ。興味深く観察する。一人の人間として見て、それぞれの個性は素晴らしいし、尊敬する。だが、お付き合いするとなればまた別のもの。

恋愛なんて、年を取ってもしようと思えばいつだって出来る。この時期はむしろ自分を磨く時期だろうって私は思う。

うちの場合は男っ気がないので、結婚の話は子供の頃からしていた。私は、まだまだ関心が無かった。

10年経た現在、お見合いの話や紹介のお話しを頂く。いつだったか病院の待合室で、うちの息子と見合いをしないかと見知らぬおばさんから声をかけられた。仕切りを隔てた隣には付き添いの息子がいた。母親が聞いてくるとは、どういうことなんだ。でも、私はどこか楽しんでいた。息子の経歴を延々と話した後、私の家族構成や、出身校を聞かれた。どうやら、家が近いようだ。嫁には行けないので、断わった。あっちは諦めた様子だった。帰り際、母だけではなく、息子もニコニコしながら私に頭を下げた。私も笑顔で会釈した。面白い出来事だった。

結婚については、親のほうが相当あせっている。うちも毎日のように話題になる。まだまだそんな気は全くない。結婚はいいイメージより、悪いイメージがある。誓ったとおり、いまは自分を磨きたい。

男性も恋愛ではなく、今以上に勉強になる人間を探してしまう。全ては夢のために・・・。

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2005年12月23日 (金)

ワインの栓の抜き方

今日の昼、ちょっと早めのクリスマスをしました。

カットケーキは大きめのチョコレートケーキ、生クリームケーキ。そして普通サイズのレアチーズケーキ。
母は、生クリームをあまり食べられないというので、表面のモッコリ生クリームをすくってあげました。やはり、ケーキを食べるとクリスマスという実感が湧いてきますね。

前みたいに写真を撮ろうかと思ったのですが、ケーキを写したところで何の意味があるのだろう・・・。現像してから妙な気分に取り付かれたので、止めときました。写真にしなくても、記憶のなかに映像として残るからです。
ちゃんとケーキがあって、お料理があって、母がいて、幸せな光景です。

全ての料理は、母と決めて買いに行きました。
品物を選んで、家に帰ってきて、用意して食べる。その時間はなんと楽しいものでしょうか。

「スパークリングワインは、そうそう、栓を抜かないとね」

母が台所に立っている間に、開けておこうと思いました。

「パンッとなるんだよな」

アルミの部分を剥がし、家の中で開けるのは危険に感じ、寒風吹きつける、外へ出ました。
力をこめて、出っ張ったコルクを押し出そうとしても、コルクが滑らかで指がすべります。

「そうだ!いつもの手だっ!」

家に戻り、今年もこれの出番か、とばかりに彫刻刀を手にしました。
コルクの出っ張った部分の側面を彫刻刀でほり、くぼみを作るのです。
そこに指をかけて、開けようとしたのです。

くぼみに指を入れて抜こうとしますが、開きません。

「うーむ、開かないなあ・・・。でも前はあんなことがあったよね」

私は、初めて彫刻刀を握り締めた日を思い出しました。
時間をかけても、ワインのコルクがなかなか抜けないので、彫刻刀の丸刀大で、掘り下げていきました。
せっせっと掘るうちに、赤い液体が出てきて、それを網でこして、ワイングラスに注ぎました。

「あんな日もあったじゃないか・・・・パンッ!」

威勢のいい音とともに、ワインのしぶきがタンスにかかりました。私の手も、台の上も、こたつカバーも、濡れました。母の座布団も染みになっています。

私はハサミでコルクをはさみ、押し出すことに成功したのです。

喜びながら、ティッシュペーパーを集め、拭きだしました。

工夫の甲斐あってスパークリングワインを飲むことができました。

皆さんもお気をつけください。

「ごきげんよう」を見ながら、楽しいクリスマス・イブイブとなりました。

めでたし、めでたし。

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2005年12月22日 (木)

おつまみにいかがですか

母と話し合って、明日クリスマスをすることになりました。

24日当日はお目当てのケーキがなくなること必須です。
それなりに、ちょっとした料理を作り、2人で楽しもうと思います。

今晩から胃腸の調子を整えたいです。薬は一錠だけ飲みます。
きっと久しぶりにお酒を飲むかもしれませんから。
やっぱクリスマスといえば、スパークリングワインです。シャンパンより手軽に手に入りますからね。うちの近くにワインで有名な場所がありますし・・・。

ここでちょっとしたつまみを紹介したいと思います。クリスマスとは関係ありませんが、自分の好きなものです。

皆さんもお歳暮なんかでハムを頂いたかもしれません。

ハムをつかって、簡単なつまみを作りたいと思います。

材料 ハム、ケチャップ、とろけるチーズ、餃子の皮。

餃子を作る感覚です。ハムを薄めに切ります。そして、いちょう切りにします。餃子の皮にハム、ケチャップ、とろけるチーズをお好きな量ずつつめていきます。包み方は餃子と一緒です。ハムと、とろけるチーズに塩分があるのでケチャップは控え目にしても美味しいです。

180度の油でほんのりきつね色になるまで揚げます。

上げて、油を切って出来上がりです。

ケチャップを入れず、ギョウザの皮の内側に青しそを入れて揚げても美味しいです。その場合は食べる時に醤油などをつけます。

これは私が中学生から作っていて、手軽に出来るのでオススメです。
スナック感覚で食べてもいいし、ビールのおつまみにしてもいいですね。
油が気になる方は、ウーロン茶と一緒にいただきましょう。

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2005年12月21日 (水)

新日勢の好きなTV番組

本日21日は、祖母が亡くなってからちょうど一年。
遺影に向かって祈りを捧げた。

昼はまたマック。
単品でフィレオフィッシュバーガーとポテトMをテイクアウト。
別に買った海藻サラダと一緒に食べる。

週プロとゴングを立ち読み。
週プロの蝶野選手のコーナーにAKIRA選手がゲストとして登場。
5ページほど載っていたが、時間が無いので、また改めて読みに行きたいと思う。

ゴングは、選手のプロフィールが載ってた。オールカラーだった。
笑ってしまったのは、好きなテレビ番組の質問。新日勢をおおまかに読む。

各選手の好きなテレビ番組を挙げる。

永田裕志選手 「風のハルカ」
棚橋弘至選手 「内村プロデュース」
真壁刀義選手 「こたえてちょーだい」
吉江豊選手 「ためしてガッテン」
中邑真輔選手 「吉本新喜劇」
西村修選手 「天気予報」
竹村豪氏選手 「お笑い番組」
後藤洋央紀選手 「恋するハニカミ」
外道選手 「銭形金太郎」
邪道選手 「鬼嫁日記」
中西学選手 「さんまのスーパーからくりTV」だったけなあ。

(* 憶えてきたのを載せましたが、間違っていたらごめんなさい)

思わず吹き出しそうになった。危ない危ない。隣に人がいたから・・・。でも口角は上がっていた。

邪道・外道選手はイメージとかけ離れていて、びっくりさせられた。
西村選手の天気予報ってのもユニーク。テレビはあまり見ないといっていたな。旅番組とか見ないのだろうか。
永田選手の風のハルカってのもいい。

選手名鑑は、意外な一面が垣間見られて楽しいけれど、これを読むとレスラーも普段は私たちとあまり変わらないのだなって思う。
リングの上では、超人だけれども、砕けた所を発見した時、親近感が沸いてくる。

それを知っているから、会場で選手に声をかけることができたのだろうな。
西村選手、AKIRA選手、後藤(洋)選手、TAKAみちのく選手、小島選手、他多数。

また今度行ったら、残りの新日選手、全日、ノア、ZERO1-MAX、フリーも見てみよう。

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2005年12月20日 (火)

体罰

地域の人に模造紙に絵を描くよう頼まれている。

正直言って、絵は全く描かないし、苦手。
ただ若い人のほうが発想がいいというので引き受けている。今年で3回目か。
来年の干支である犬を描くのだ。

さて話はがらっと変わる。

昨夜、今年のニュースを振り返る番組があった。
その中に教師の体罰というものがあった。私はニュースのあまり難しいものは分からないが、これは考えさせられた。

十数年前。
私が保育園に通っていたときであった。その頃から病癖があったのか、給食が食べられなかった。プレッシャーがあって、緊張でのどに通らなかったんだと思う。無理やり口に運んでいた。食べ終えるのがいつも遅かった。完全に食べ切ったか保母さんが見に来るので、昼寝の時間まで割り込んで食べていた。

給食の時間になると決まって泣いていたそうだ。涙で味が分からなかった。いつも保母さんに怒られていた。保母さんは何としてでも食べさせようと躍起になった。3時のおやつも同じだった。

うちのお父さんは、肉を食べ過ぎて死んだ。
当時の私はそれを信じきっていたのだ。母は、野菜を食べないといけないわよ、そんな意味合いがあって言ったのだろう。それから一時期、肉を嫌うようになった。

保母は、肉を小さく切っても食べようとしない私に手を上げた。吐いた私に平手打ち。おやつの時間は吐き出さないように私の口を手の平で覆った。あの手の圧力は今も口の周りに残っている。下手をすると窒息する。

注射の時は泣かなかったので、園長さんに「注射の時泣いて、給食の時は泣かないでよ」と言われたそうだ。私も覚えている。

緊張で食事が食べられない。それは中学まで続いた。
小学校低学年のときは立たされた。それとは別にげんこつを喰らった。
普通に手を上げることはあったのだ。

暴力だ!体罰だ!
それは、やられた本人の受けとめかたもあるのではないか。
口に出して初めて発覚するが、本人か目撃者が口に出さなければ、わからない。黙ってるだけで、陰ではたくさんあるかもしれない。

本人が怪我をした。精神的ストレスを受けたなら問題になる。
納得いかなくて、その場でやり返す。私は無かったが、頭に血が上ったら、人間何をやらかすか予測できない。

それより私は高校の時、言葉による精神的ダメージを受けた。9月のブログかな。この話をしたと思う。担任は力になってくださったのだが・・・。どうであれ私が登校できないのは変わらない。でも納得いかない。

小学校。中学校。高校。
それは性格でもあるが、病気だという医者の診断結果がでていたなら、先生方はどんな反応をしただろう。どういう措置をとったか。どんな打開策を講じたか。

こんなことを考えてしまう。

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2005年12月19日 (月)

私、今日までずっとやせ我慢をしてきました。
告白します。

昨日やっとこの部屋にストーブが入りました\(~o~)/

ブログをつけるにも、昨日まで震えながら打っていたのです。
温度計が0℃を指しても、イスから降り、こたつで手を温めながら取り組んでいました。30分以上パソコンの前に座り続けると、身体が冷たくなり、鼻がたれ、ブルブルしてきます。一時間以上だとあまりの寒さに正常な思考判断ができなくなります。

パソコンがあるこの居間は、陽あたりがよい部屋です。
この時間も西日が差しているので、まぶしく、薄手のカーテンを閉めています。

しかし、朝晩の冷え込みは厳しく、冷え切っているのはパソコンだけではなく、人間の身体も同じだったのでした。

連日つづいた寒波。そして昨日掃除から帰ってきて、私がくしゃみを連発し、鼻をかみ続けたことに理由があります。

今はまだストーブをつける時間ではありません。夜になってからです。

いつだったか、全くストーブ・ファンヒーターを使わない年があって、私の手はしもやけどころではなくなりました。
厚着はしていても、室内で手袋をしているわけにはいきません。初期の頃は、赤くなり、腫れあがってゆきました。掻くと指の太さが2倍近くになりました。
その後悪化し、凍傷したようになりました。

かゆみというより痛さがでてきて、場所によっては感覚がない皮膚もあります。赤から紫色に変色し、青あざのようになりました。

「寒さに耐えきった証だ」
私はもはや自慢げに友達に見せると、眉をひそめ、
「なんでしもやけなんて出来るの?」
そう尋ねてきたのです。

毎回お菓子の差し入れをするからって、外見を気にかけているからって、そんなに私は甘やかされて暮らしていると思っているのか・・・。
その子は、うちに上がったことはないけれど、節約して暮らしている。お嬢様なんかじゃない。

逆に小ばかにする人には、うちだって灯油ぐらい買うお金はあるわよ。他のことにお金をかけているだけ、と強がって見せる。

2,3年前はこんなだった。
今は、方便を使ってその場を取り繕う事が出来るが。

基本的に昔かたぎの家なので、引かないで下さいね(苦笑)。
昭和初期、戦争中、戦後、オイルショックを生き抜いてきた、祖母らの中で育ってきましたから。その血が私にも流れていると信じたいものです。

衣食住に特別困らず暮らしている。それだけでもなんて幸せな事でしょうか。

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2005年12月18日 (日)

年末掃除

10月の草刈りに引き続き、今日は地域の年末大掃除に参加。久しぶりに顔を合わせる子もいた。若い子は20代前半から後半といったところか。
今回は会館。私はトイレ掃除をした。なんか学校の掃除を思い出す。
けっこう集まったので分担してやった。
私はタイルを拭き、便器にサンポールをまいて磨いた。みんな黙々と掃除をする姿は学校とは違う。それぞれが強い責任をもっているからだ。男子トイレだって女子の担当だもの。

終了後、20歳の子の雑談の中に「ちょ~眠いんだけど~」など、独特の話し方がでて歳を感じる。私だって若いけど、「ちょ~○○」だとか「マジ○○」なんて言葉、恥ずかしくて使えない。もともと自分の考えが年寄りだということもあるが。

でも基本的に清楚な人たちが多いので、男の子に女友達を紹介するのは、やはり無理。そんな会話ができるような空気じゃない。

○○君よ。彼女は自分で捕まえた方が確実だよ。

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2005年12月17日 (土)

記憶

今日もパソコン順調に動いています。

長野はさきほどから雪が降っています。
明日の最低気温-9℃、最高気温-2℃。
このパソコンがある部屋は、深夜から翌朝まで、無人になるので相当冷え込みます。起きて画面に触れると氷のように冷たくなってますから。
大切なパソコンなので本体もディスプレイも抱きしめて、体温で温めたくなります(笑)。

夕べは、大切な文書を全てCD-Rに収めました。
前回は全て消えてしまって落ち込んだものですが、大切なメール・HPの内容というのは不思議と記憶に残っているものです。

夢中になったものは、写真や文章がなくとも記憶に残っている。
それはパソコンだけではなく、色んなものに当てはまるでしょう。
私の場合は、むかし処分した雑誌。ビデオ録画しなかった映画、テレビ番組がそうです。

前者は家の中が散らかるという理由から、捨てられてしまったものです。
明星のグラビアページ。テレビガイドの読者が投稿した番組の意見。ドラマの記事。別冊本の芸能人のプロフィール。週刊誌の尾崎豊の特集。

黙って捨てられたときは大変なショックを受けました。
ただ夢中になればなるほど、写真を凝視し、文章を熟読しています。
だから自動的に浮かび上がるのです。破片ですが、「あんな事が書いてあった」とも容易に思い出せるのです。

購入し「家にあるからいつでも読める」そんな安心感があるためか、あまり憶えていないのです。
むしろ、立ち読みした記事の内容のほうが頭に入っていたりします。
お金がないから買えない。だから忘れないように、記事を何度も何度も読み返す。その結果、熟読し、暗記できたことになります。
(なんかテスト前日みたいだな・・・)

週刊プロレスに連載されていた「西村修の人生相談」は正にそうでした。
夜真っ暗になって、氷点下の風が吹こうとも、路面が凍結しようとも、近道が雪でふさがろうとも、痴漢のことなど忘れて、ローソンへ通ったものでした。
真っ暗な闇を抜け、ローソンの明かりが見えると足早になりました。
客が少ない時間を狙って行った日には、週プロ・ゴングの定位置を独占できました。

店内のBGM、店員の声、背後にいる人など周りに全く気づかず、記事の世界に引き込まれていきました。

毎週木曜日のローソンは私の軌跡が詰まっているのです。

プロレス雑誌を立ち読みしながら涙ぐんでいるのは私ぐらいか?

映画も雑誌も、購入するより、一度じっくり見たほうが記憶に残る。
これは言えるのではないでしょうか。


もう5時半か。そろそろ炊飯器の電源入れなきゃ。


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2005年12月16日 (金)

辛うじて復活しました!

「パソコンの調子がおかしいぞ。壊れるのか・・・」

「今日は色んな話があるのに、困ったなあ」

昨日の昼過ぎ。病院から帰ってきた私は絶望しました。

昨日の夕方から今日の未明にかけて、友人・知人への連絡に追われていました。

このパソコン FUJITSU FMV を使い始めて4年9ヶ月になります。
何かトラブルが発生しないとマニュアル本を開かない、自分流の進めかたをしてきたので、本体にも大変な負担をかけてしまったと思います。
それが昨年の故障につながったのでしょう。
店員は「フロッピーディスクドライブが壊れていて、その部分が他の本体にも悪影響を与えた」確かそのような事を言っていたな。

今は正常に動いています。
しかし、さきほどまで一度も使ったことがないフロッピーディスク表示ランプが付いたり、消えたりしていました。
アクセス表示ランプも小刻みに点滅していました。

嗚呼、普段パソコンの勉強をしていないからこんな事になるのだ。
今だって各部の名称を取扱説明書を見ながら書いているのだから・・・。

まあ、そんなわけでした。これからも、同じような状況になるかもしれませんが、ご了承ください。

さて、昨日の報告に戻ります。
まず病院に行きました。久しぶりの面接です。
最近は医者と電話で話し、薬だけを取りに病院へ行く。そわがお決まりのパターンでした。

私は前日まで大学ノート6ページ分に自分の症状を事細かくまとめました。
予約してあったので、ほとんど待たずに呼んでもらえました。
近況を伝え、ノートをみてもらいました。すると、すぐ診断結果が出ました。
私も以前から予感していた結果です。またひとつ疑問が解けたのです。
そこの病院は手際がいい。以前かよっていた日赤とはまた違うスタイルですね。薬が一つだけ変わりました。

その後、いつものように昼食を買いに行った。
またマック。行かないとなると半年も口にしないのに、一度食べ始めると、週2回も食べるようになるんです。
店員の女の子が可愛かった。顔は倉木麻衣。いやもっと彫りが深い感じかな。実際会ったこともないけれど・・・。頬にほんのり赤みが差している。それを見て若々しいと思った。対応が他の店員よりもテキパキしている。
チキンフィレオセット。飲み物は爽健美茶をテイクアウト。
違う店で野菜、果物を買う。

新しい薬は副作用が強かったら、直ちに止めようとした。
しかし、苦いだけで、特別な変化はない。ほっと一安心。

天涯孤独なら、私一人で責任を負えるが、母がいることを思うと心配をかけてしまう。
母にはオブラートに包んで説明した。

ただ言えるのは、私は大丈夫だということ。自分を信じている。
支えてくれる方もいるわけだから・・・。


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パソコンの調子が悪い。壊れるかも

こんばんは。

うちのこのパソコン画面が真っ暗になりました(*_*)

電源を入れては、付け、入れては、付けを半日くりかえしてたった今なんとかWindows MEの画面が表れました。
起動もしました。

ただ、キーを押しても文字が出るスピードが遅い。まだまだ分かりません。様子をみてみます。

明日以降の更新がしばらく出来てない場合は「このブログの管理人パソコンが壊れたのだな」と思ってください。

念のため連絡しておきます。


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2005年12月14日 (水)

女の子紹介して~

男友達から「女の子を紹介してほしい」と頼まれている。
それも今月一杯までに。
あと17日しかないではないか・・・。
相手のほうが恋愛経験豊富だし、弁も立つし、行動力もある。
だから自力で見つけられそうなものだが、恋愛になると奥手になるらしい。
私は、女の子への接近のしかた、口説き方、などを電話で毎回アドバイスしているのだが「次、かけてくるときは紹介の電話だと思ってるから。わかったなっ」こんな調子である。

もう夏ごろからそんな感じかなぁ。
半年~1年、彼女がいないからって、そんなに大騒ぎすることでもないと思う・・・。
寂しさを紛らわすためか、最近ペットとして、ふくろうを飼いだした。

「これからエサやるんだけど見に来ないか?」

部屋に上がり込むと、手の平サイズのそれはそれは可愛らしいふくろうが居た。
彼の部屋には他にも、ヘビ3匹、亀数匹が居る。
ペットのエサ専用の冷蔵庫まであり、本棚には図鑑だの専門誌だの、ぎっしりと爬虫類の本が並んでいる。

「そろそろいい感じだな。これから解体ショーを始めるぞ」

そう呟き、解凍してあったハツカネズミを、適当な大きさに切り出した。

ピンセットでつまみ、白い毛がついたままの肉をふくろうに与える。
私もやらせてもらった。

毛はボール状にして後から吐き出すらしい。

ふくろうを眺めている彼は輝いていた。

「可愛いペットが居るから、彼女はいいでしょう」

「まあな」

私はひと段落して別れるが、次の日には電話がかかってきた。

「最近の奴らってロクなのがいねーぞ。
まえ俺がバイトしていたところの女達だって、真面目に仕事している奴は一人もいねぇ。給料出れば、休暇をとって、さっさと遊びにいっちまう」

私は1時間以上かけて説得する。

健康で、お酒が飲めて、働けて、ペットに囲まれているだけで充分だと思うんだけどなぁ。
彼女、彼女って。若いんだから、これからも色んな出会いがあるでしょう。

「紹介してほしいって、私も病んでいる立場だからね。行動範囲だって限られてるんだよ」

私は前回と全く同じ内容の、女の子への接近のしかた、まずは友達から始める方法をまた一から話しはじめた。

あと17日・・・。

励ましてくれたし、世話になったから、年末までに何かプレゼントしてあげたいとは思うが。見つからない・・・。真面目な子が多いし、みんな彼氏もち。

そんな彼は、ペット好きが趣味を超え、今月お店をオープンした。
オーナーになったのだ。

「○○君よ。それでいい。20代前半は男を磨く時期だっ!」

恋愛は年を取っても出来る。20代前半は男も女も自分を磨く時期だ!!
と思う私は年寄りか?

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2005年12月13日 (火)

クリスマスケーキ

母と話し合って、今年は24日当日にカットケーキを何種類か買おうって言うことになってます。

昨年はクリスマス直前に祖母が亡くなりました。
ケーキを予約してあったものの、告別式と重なったため、一日遅れで取りに行きました。身体の不具合を抱えている私は、無事、葬式に参加できたことにホッとしながら、ショートケーキをほおばっていたように思います。

ほぼ毎年、ケーキの予約をしています。
生クリームに苺。それが定番です。

でも一時期こんな事がありました。
人に言うと引かれそうで・・・。当の私も今になってよくあんなことしていたなあ~と苦笑いしてます。

可愛いケーキを食べる前に、必ず写真に収めていたのです。
それが、「可愛いケーキ」で終わることなく、例え平凡なケーキでも買ってきたら、食べる前に写真に撮るというのが恒例になりました。

居間が散らかっていたら、わざわざ客室に移動して、下にハンカチーフを引いてパシャ、パシャ撮っていたのです。
母は呆れ顔。私は林家ペー(?)、いやフードカメラマンになりきっていました。
周りをサクランボや、クッキーで彩ったりもしました。

あるときはケーキの下に、店名と商品名を書いたカードを置いたときもあります。
そうして現像した写真は、ケーキ、ケーキ、ケーキのオンパレード。私はほくそ微笑んで思い出に浸っていたのです。
しかし現像した写真屋さんは「この人何者なんだ?!」と思った事でしょう。
あるときは、27枚全部ケーキだった事もあります(^^;)

今年のクリスマスも、久しぶりに撮ってみようかな。


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2005年12月12日 (月)

学校~この支配からの卒業~

尾崎豊を久しぶりに聴きました。
アルバム「回帰線」です。

尾崎豊にはまったのは、亡くなってからです。
連日ワイドショーで報道されていました。
「なんて綺麗な人なんだろう・・・」
小学生の私は、テレビ画面に釘付け。彼の外見だけでなく、内面にも惚れていきました。

週刊誌の特集をこっそり読み、母に頼んでカセットテープを買ってきてもらいました。
「尾崎豊の曲だったらなんでもいい」そう伝えた。
母から受け取ったのは、確か「音のない部屋」が入ったテープでした。

彼がなくなった当時は、人生初の両思いになった年。同時に嵐の中で足を踏ん張って立っていた時期でもありました。

私は小3の冬~中2まで、毎年不登校の対象者になっていました。
年間30日以上欠席していたという事です。

私が学校で学んだものは、勉強よりも、圧倒的に人間関係です。
集団による悪口・陰口は日常茶飯事でした。ちょっかいという形で、男子から叩かれたり、蹴られたことはあります。しかし、甚だしい怪我をすることはありませんでした。イジメは女子から受け、所持品を盗まれたり、掃除道具の収納部屋に
閉じ込められました。
教室のドアにクラスの役割分担表が張られてありました。私の名前の部分に、三角定規の先で引っかかれたような跡があり、薄紙がめくれ、私の名前は、ほぼ消えかかっていたように思います。他にも色々ありました。

彼女らは、ストレス解消にやっていると、とんでもない事実を聞かされて、もう話す気力さえ失せてゆきました。
リーダー格の人が、先輩に讒言をし、先輩も味方につけて嫌がらせを受けたのは堪りませんでした。

私が学校で学んだのは、人を憎む事、自分を捨てる事でした。
祖母から学んだものも、母から学んだものも、学校という場所では、通用しない・・・。

私は最後の最後まで学校と相性が悪かった。

学校という場に自分の身を置いて、周りが基準だった頃は

「あと何度自分自身 卒業すれば

本当の自分に たどりつけるだろう」

そのフレーズばかりが、やけに耳に付きました。

「卒業」その歌詞の本当の意味が解かるまで10年かかりました。

「この支配からの卒業

 闘いからの卒業」

このフレーズが心地よい。学校から解放された今が嬉しくてたまらないのです。

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2005年12月11日 (日)

ナルシスト

傍から見れば、今まで打ち込んできた記事の多くにマイナスのイメージを持った人もいると思う。
現に心配されてコメントをいただいたり、読んだ知人がメールして来てくれた。何度も何度も読み返しては、励まされたものだった。

しかし、これだけは言いたい。
傍から見れば凄い暗い記事でも、書いてる本人は、それも自分なのだから・・・どこか楽しんで打ち込んでいた日もあるように思う。

ただ、先日みたいに本当に苦しくなってブログで助けを求めたことは、苦しみ以外の何ものでもないが。

なぜこんな事を書いているのかというと、芸術の世界は何でもありだと思う。学校のテストのように答えは一つじゃない。
ブログを開設して、自分を表現している人の数だけ人の生き方がある。表現がある。芸術は答えが一つじゃないから、そこが楽しい。
表現者の数だけ無限。

一般社会ではなく、芸術というものを意識して自分を表現した時、生きる道が見える気がした。
それに気がつく以前は、今以上に悶々と自分の殻に閉じこもっていた。

顧みれば学歴の奴隷だった。それを断念せざるを得なかった挫折感はとてつもなく大きかったものだが。山積みになった教科書、参考書、辞典は霞んでいた。奈落の底に落ちていった。
まあ、ちっぽけな価値観の人間だったということだ。

「うちの子は○○大学に合格して」と自慢げに話している、親を見て、殺意さえ感じた。

まさに、人の不幸は蜜の味。そんな人間になった時期もある。

時には慣れないアルコールを痛飲し、自虐してしまった。
けれども、酔いがまわってくると、いい気持ちになり、自分への慈しみが生まれる。心臓がドキドキし、壁は波うち、意識がもうろうとし、トイレの床に座り込んでしまった。お尻が冷たい、そういえば自分は潔癖症なんだということも思い出すが、立ち上がる事が出来なくなってしまった。

こんな姿もいいと思った。好きだった。
お気に入りの小説の中の登場人物と自分を重ね合わせ、その状況に陶酔しきっていた。恍惚のひととき。

私は昔から人と変わった事をするのに、喜びを感じる人間だから。

その時は苦しく、辛く、人を憎んでも、経験したものがすべて自分の感性を形成していったのだ。
無駄じゃなかったと思う。
ネタになって文章や会話で表現できるのだから。

今年になってコンクールに応募した。どれだけ応募したか数知れない。

結果が出れば嬉しい。よっぽど上にいかないと批評はしてもらえないが。

苦しい日も未来のネタになると思えば生きるのが楽しい。

同じ長さの人生なら、充実して楽しく生きたいものだ。

誰かの言葉を借りるなら、

自分をかっこいい、美しいとも思い、究極のナルシストの域まで行ってみたい。


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2005年12月10日 (土)

曲と思い出はワンセット

こんばんは。
今夜の夕食はお蕎麦・ご飯・マカロニサラダ。気がついたら炭水化物づくしです。

このところ、メル友がいっきに増えてきました。
今年を振り返ると、メル友、実際お会いして知り合いになった方々、このブログで出会えた方々・・・まさに出会いの年でした。
そのぶん、人の温もり、優しさに触れることが多くなりました。こんなに喜びを感じた年は20年以上生きてきて初めてかもしれません。
思い出もたくさん出来ました。

このブログ上でも、お礼を申し上げます。
皆さん、どうもありがとうございました。

といっても、21日残っていますね。

私は、曲を聴くとその時々の思い出が走馬灯のように蘇ってくるんです。
曲といっても、テレビCMだったり、番組テーマソング等も含まれています。
つまり、いろいろな体験を積んでいるときに耳にしたものです。

今年の場合はどうでしょう。

sona「会いたい」 
韓国ドラマ「天国の階段」のエンディングテーマ。女優・タレントしても活躍中のユンソナさんの歌手デビュー曲。

Simply Red 「Stars」
中村獅童さん出演のスバルのCMソング。

友人の訃報を耳にした時期に流れていた曲が印象深いですね。

あと5月の飲み会で、ひどい悪酔いをした際に流れていた。
ケツメイシの「さくら」です。
睡眠薬を常用していたせいか、あれはホントきつかったです。
一週間、飲食できませんでした。

7月は、AKIRA選手出演の舞台「THE WINDS OF GOD」にお誘いいただきました。
舞台公演のテレビCMで流れていた、Elton John「Your Song」
実際の舞台で流れていた、風味堂「ゆらゆら」ですね。

嬉しいことに、最近DEENファンの方と知り合えました。
「CHRISTMAS TIME」は、毎年この時期に聴きたくなるだけで、特別な思い出は無いのですが、今年はこの曲に思い出が加わりそうです。

私が知っている曲に、素晴らしい彩りが加わったのです。

もっと書こうと思ったのですが、お風呂の時間です。

続きはまた後日・・・。

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2005年12月 9日 (金)

必読!セールス電話の対処法

私はハスキーボイスなので、寝起き、あるいは喉を使った後に電話に出ると、男と間違われる事があるんです.(T_T

「はい、○○です」

「もしもし、○○さんの旦那さまでいらっしゃいますか?」

おいおい、父はとっくに亡くなってるし、私は20代前半の女だよ。

「私は娘なんですけど・・・」

「あっ失礼致しました。とても落ち着いた声をしてらっしゃるので・・・」

過去に数回こんなことがあった。

「はい、○○です」

「あっ、良夫か?」

明らかに老人だと思われる男性の声だ。

「違いますよ。うちは○○です」

切ったらまた電話がかかってきた。

そして、数週間後も・・・。

また「良夫か?」と聞くので、私の声は、相手の息子か孫と思われる、良夫という人によほど似ていたのであろう。

間違い電話は、いいとして、セールスの電話って皆さんの家にもよくかかってくると思うんですが、どんな対応をしていますか?

相手も生活がかかっているから、売る事に必死だと思うので、なるべく相手の神経を逆なでしないよう丁重に断わるように心掛けているんです。

しかし中には、私が話している途中にガチャンッと切ってくる人がいる。よほど切羽詰っているんだろうな。
どんな理由があろうと、電話の切り方には注意を払ってほしい。

それも、同じ会社で日によって女だったり、男だったり、毎回違う人がかけてきて、まったく同じ体たらくだ。

毎回断わっても、あくる日、一日に数回もかかってくるようになり、相手は面白がって、もはやイタズラ電話の感覚だ。

切れた私は、声にドスをきかせ

「てめぇ何様のつもりなんだ、オラッ!深夜にもかけてきやがって、迷惑してるんだよ!コラッ!ぶっ○すぞ!」

「二度とかけてくるんじゃねーぞっ」

その他にも、とてもこのブログには載せられない暴言を吐いた。

暴力団員になりきり、声を張り上げた。何があったのか母が駆けつけた。

「いやーあまりにもセールスがしつこくて・・・」

それから電話がかかってくることは、なくなった。

最近は、セールスの電話がかかってきてもなるべく穏やかに努めている。

「○○様の奥様でいらっしゃいますか?」

「いいえ、私は○○の愛人です」

次はこれを試してみたい。

先日、コテコテの大阪弁で電話が来た。

ひととおり説明を聞いた。

その後「いやー久々に大阪弁聞きましたよ」

「苦笑・・・大阪に住んでいた事があるんですか?」

「いえ、友達がいるんです」

株の投資の話だったので、私はコギャルを装い(普段は女の子と分かる声です)「わたしぃ~親のスネをかじってる身だからぁ~」と延々と話かけているうち、相手は諦めた様子だった。

なのでセールス電話に出るたび、モノマネをしている状態です。

こんな私も、来年あたりは、選挙カーのアナウンスをするかもしれないのです。その際は、友近を意識して話そうかしら。

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2005年12月 8日 (木)

人の視線、私の視線

愛を乞い、刺激を与え、快感を受ける。時には凶器にもなる。

『目は口ほどにものを言う』

多感な思春期の心は、人の目の色ひとつで偏見だと受け取り、差別されているのではないか、被害妄想をする。

大人たちの視線を感じなくなると、それに寂しささえ覚え、後に視線は自分に快感を与えてくれていたのだと気づく。

視線に敏感だった。良い意味でも、悪い意味でも。

母の知り合いに目に見える障害をもった人がいた。
私はその方と、しょっちゅう顔を合わせていくうちに、当時の言葉で形容するならば「それがその人である」いわゆる障害者という感覚が無かった。

しかし、ある日のこと。
母と医者に行ったとき、その方が椅子にかけていた。私たちはその隣に座った。向かいに中年男性が座っていた。中年男性が、障害を持つ知人に何ともいえない視線を注いでいた。眉をひそめ、口をへの字にし、下から上へ黒目が動いた。そして、顔のあたりで視線が止まり、凝視している。

小学校低学年の私はそれが、なんだか許せなかった。知人はその視線に気づいていない。母と会話に興じていた。

私は自分の目に神経を集中し、その中年男性に睨みをきかせた。
視線による無言の警鐘。渾身のメッセージ。

相手は私の視線に気づかない。そんな視線による警鐘を送っていたら、受付の人に自分の名前が呼ばれて、席をはずした。

私の思いが届かなかった・・・。その後も、悔しさのようなものが残り続け、もやもやしていた。

この一瞬の出来事が、鮮明に目に焼きついている。
人の視線に敏感になったきっかけかもしれない。

私は、欠席がちになると、学校の先生たち、保護者たち、世間から、視線を感じるようになった。
それが不快に感じ、いつも人目を気にし、こそこそするようになった。

しかし、その視線が何ともいえない快感で、視線を感じなくなると寂しさを覚える事さえあった。視線たちは、ワイドショーに登場する有名人が浴びているカメラのフラッシュみたいなものだった。

視線を感じる事で、いい方向に作用したのは、外観。
身なりをキチンとしよう。大人っぽい服装をするようになった。

思春期になると、女の子の体は、丸みを帯びてくる。自分の体の変化に神経質になった私は、それを阻止しようと思って、夕食を控え目にした。

でも女の子はみんな同じ。久しぶりに登校したら、同級生の女の子の体が大きくて、胸にもお尻にもボリュームが出ていた。
私は小さいほうだった。

自分の視線のひとつひとつが、相手に色んな影響を及ぼすのではないか。
そう気づいた日から、心掛けている事がある。

いつも相手に優しい視線でありたい。笑顔つきで。

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2005年12月 7日 (水)

最愛の人のルーツ

自分のブログってつくづく喜怒哀楽が激しいなあ。でも、これが生身の人間。綺麗じゃなくても、自分の生き様を投影できるブログを目指しています。

こうやって前置きするのは、今日の記事に理由があります。
少し勇気が要りました。しかし、母から承諾を受けました。載せます。

母はあの時どうして殺気に満ちた表情をしたのか。鬼の形相で私を殴りつけ、蹴ったのか。刃先が尖った荒々しい言葉で私を突き刺したのか。

店で私がビールを手にすると、顔をしかめ、私の手から奪い取り、棚に戻したのか。「アルコール」その言葉に異様なまでに敏感だったのか・・・。

母に対して、憎悪を持った。
反対に、お互いの愛を確かめ合うように強く抱きしめあった日もある。

母のルーツ。その端々は知っていた。
厳しい言葉をかけるときには、その背景を必ず会話に付け加えた。

母を脅かすその正体の輪郭が、昨夜、浮かび上がってきた。

母は未熟児で生まれた。5歳まで歩行困難だった。
物心つくまで、よく病気にかかり、20歳まで生きられないと言われていたそうだ。

母の親父は酒飲みだった。それが仇になってガンで亡くなった。
闘病期間が長く、祖母におんぶさせられ、病院まで通っていたようだ。
母は祖母の苦労をいつも目の当たりにしていた。親父の酒癖の悪さは、祖母にだけでなく、子供だった母にも及んでいたようだ。

10代後半になると、親元を離れ、1日12時間立ちっぱなしの労働をしていた。

そして母は、見合いで結婚する。
(母が、働きに出てから、結婚するまでの経緯は、多くを知らない。空白に近い。)

私が中学生の時、タンスに母子手帳が入っていた。
自分は、どのようにして産まれてきたのか、知りたくて手帳のページをめくっていった。
するとそこには、思いもよらない記載がされていた。私が生まれる10年以上も前に男児を出産している。私は母にとって初めての子供ではないのか。
私には、兄がいるのか。1970年代ってことは、私の亡くなった父との間の子じゃないのか。

私は衝撃でもない、驚きでもない、不思議な感覚に全身が覆われた。
それは、現実。母子手帳に私は手を触れた。ボールペンの黒い文字もこの目ではっきり見たのだ。

私は静かに母に尋ねてみた。
すると母は、表情一つ変えずに告白した。
「もうとっくの昔の事だから・・・」
私の父と結婚する前に、見合い結婚をした。その男性との間に男児をもうけるが、今でいうドメスティックバイオレンスに遭い、生後数ヶ月のわが子を残して逃げ出すように家を飛び出した。

母の辛い過去を思い出させたくない。心のかさぶたになった箇所を、剥がして再び痛み出すようなことをさせたくない。
頭の隅に引っかかっていたが、私が現在進行中の作業の取材という形で、昨夜聞いてみた。

母は強し。肝っ玉母ちゃん。まさにそんな人。

私は恐る恐る言葉を切り出したが、笑みさえ浮かべて「もうとっくの昔の事だから・・・」あの日と同じように、詳しく語ってくれた。

聞き終わった後、心が震えた。放心状態になった。
今日の未明、布団に入る頃には、涙がでてきた。

どうして、警察に飛び込まなかったのか。女一人では、子供を養ってゆく力がない。地獄から解放されること、それは同時に愛しいわが子との別れでもあったのだ。

そして、見合いの仲介をした人物を恨んでいる理由が解かった。

母は「私ってつくづく男運がない。たかこは結婚しなくてもいい」とまで言った。

私が小さい頃、親戚の家に遊びに行くと毎回「お母さんをよろしく頼むな」と必ず帰り際に言われた。
ある時は「おまえの母ちゃんは、長生きしないかもしれない。お前がしっかりやっていかないと母ちゃんが居なくなった時、苦労するから・・・」

「誰が長生きしないって言ったのよ!医者が言ったの。誰がそんなこと決め付けたのよ・・・」
冷酷な言葉であった。心が沈み、返す言葉がなかった。

後に母にこの事実を告白したら、凄く怒っていた。

そんなこと言われたが、母は私以上に元気だ。明るいしひょうきんだ。
誰かが勝手に決めた余命宣告の年齢をとっくに過ぎているのに、母は健康で元気なんだから。

母の苦労に比べたら「不登校」「イジメ」「病」なんて、ちっぽけなものだ。
だから母は、私がイジメられているといっても「そんなもの、張り倒せ!」
「やられたら、殴り返せ!」などと手荒い扱いをしたのだ。
(最後は、事情を詳しく知って私の力になってくれたが)

世の中にはとてつもない、壮絶な経験をしている人がいる。
口には出せないような、ドロドロしたものを心の奥底にしまっている人もいる。

それに比べたら、私は、まだまだ、小さい・・・。

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2005年12月 6日 (火)

マックの食べ方色々

先日雪が降ったのに、うちの車はスタッドレスに履き替えていません。
朝起きてすぐに、タイヤを車に乗せました。ちょっとした力仕事(タイヤの上げ下ろし、漬物石の上げ下ろし、灯油18リットルタンクの持ち運びetc...)は、若いものの担当。
だから、私が家を出ちゃったら、お母さん困るでしょう。やかんの火をつけっぱなしだったり、いつだったか眼鏡をかけているのに、「眼鏡はどこだ」って探していたし・・・。

母には何かと心配をかけっぱなしですが、たかこがいるから助かる。そう、お互い助け合って暮らしているのです。
20年以上ひとつ屋根の下に暮らしていれば、ツーカーの関係になりますよね。

まず、年賀状を買いに郵便局へ。昨年はうちとしては珍しく、印刷屋さんにお願いしたのですが、祖母が暮れに他界したため、急きょ喪中になってしまいました。今年は信越版の絵柄入り年賀状です。

その後、フリーマーケット(古着屋)へ。私が中学の頃なんて、松本まで行かなければ古着屋さんなんて無かったのに近所にできて嬉しいですね。

昼食はマック。
グラタンコロッケバーガー、ハンバーガー、チキンナゲット・マスタードソース、コーヒーをテイクアウト。

グラタンコロッケバーガーは、期間限定品なので選びました。グラタンがゆるくて、シュークリームを食べた時のようにプニュって出てくるのかと思っていましたが、わりと硬めで食べやすかったです。

テイクアウトの場合、毎回することがあります。
チキンナゲットを食べきっても、ソースが必ず余るのです。それを知っているから、ハンバーガーもマスタードソースにつけながら食べるのです。
ハンバーガーのケチャップとピクルス、それにマスタードソースを絡めることで酸味が増します。(チキンナゲットの箱の中にポテトが一本入ってた・笑)

ポテトを頼んだ時にも同様に絡めます。
あとこれは、美味しいですよね。てりやきマックバーガーの上のバンズを取って、甘辛いてりやきソースとマヨネーズをグジュグジュに混ぜ合わせ、カリカリのポテトにつけて食べる。一回で2度も3度も美味しい食べ方です。

ベーコンレタスバーガーだったか、マヨネーズに粒コショウらしきものが混ざってるので、これをつけて食べてもいいですよね。

店内だとちょっと人目が気になりますが、家で食べるとこんな楽しみ方があります。

みなさんは、何かオススメの食べ方はありますか。

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2005年12月 5日 (月)

Excuse me......

私は一昨年まで、英会話の勉強をしていました。
独学なんですが、学生時代の英語の教科書・辞書・参考書を引っ張り出してきて、文法を勉強しなおしました。
それに、NHKの英会話番組、テレ朝のスマステのベラベラステーションを毎週録画して「使える英会話」を覚えました。

「学校で習う英語は海外に出たときに役に立たない」
これは、学生時代にも思っていたし、英語の先生でさえ話していました。
高校に入ると英語の授業とは別に、オーラルコミュ二ケーションという授業もありました。リスニングとスピーキング能力の向上を目指し、積極的に英語によるコミュニケーションをとる姿勢を身につける、ものなのだけれども、文法にとらわれ、点数を取るための勉強であるのにかわりがありませんでした。

発音の訓練をしていると、英語なまりの日本語になってしまう。
ニュースなど見ていても、アナウンサーの話し方で「この方英語が話せるんだなあ」と思ってしまうのです。

ビデオを何回も見直して、ノートにメモり、画面に向かって一緒に発音する。
せっかく習っても、すぐに実践できる場があればよいのですが、使う機会がないので忘れていってしまいます。
私の住む町は、ブラジル人が多く、スーパーにはブラジル人向けのコーナーが設けられています。案内標識にも、日本語の注意書きの下にポルトガル語が書かれています。町を歩くとポルトガル語を目にする機会が多いのです。

なので、この人は英語圏の方だと思ったら、声をかけて通じるか確かめてみたくなったものでした。

昨年の6月だったか、地元にプロレス団体ZERO-ONEが来ました。
アメリカ人に確実に会える機会は、プロレス会場でした。
私は、開場時間より2時間も早く会場入りし、外国人選手と会話をしてみよう!と決心しました。

そういえば、あの大会が橋本選手を見る最後の試合となってしまいました。
高田モンスター軍からの刺客として参戦したマーク・コールマン選手(元PRIDE王者)との試合でした。こんな田舎で橋本真也VSマーク・コールマンの試合が見られるとは、もったいない感じもしましたが、嬉しかったですね(おっと話がズレてしまった)。

散歩をしていたレオナルド・スパンキー&スティーブ・コリノ選手に背後から「Excuse me」と声をかけたものの恥ずかしくなってしまい、普通に「すみません」と言い直しました(;^_^A

マーク・コールマン選手にお会いした時も、普通に色紙とマジックを差し出したら、サインと分かったようで握手して、「Thank you」と言っただけで話す機会を逃してしまいました。

Excuse meとThank you.......。

教室か塾にでも通わないと多くを話す機会がありませんね。

日本人でさえ会話を交わす日がないのに、英会話なんてね......。

結局、英会話番組を録画したビデオは不要になり、いまやプロレス中継を重ね撮りしている有り様です(^^ゞ

*全く関係ないですが、NHKの英会話番組の一般回答者として、売れる前の、吉本興業所属ロバート・馬場さん(髪が緑色の方)が出ていました。

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2005年12月 4日 (日)

初雪

昨夜の天気予報では、北部しか雪が降らない予報だったのに、私の住む南部も雪が積もっています。今日の天気予報を見たら全部雪だるまマークだったのでビックリしました。

アスファルトの上は3センチほど。土や木の上には5センチから10センチの降雪量といったところでしょうか。

気温も低い。
暖房をつけていない部屋は、室温3度。家の中なのに、吐く息が白い。本格的な冬がやってきました。
長野の冬は寒さが厳しいっていっても、北海道に住む方々には氷点下なんて当たり前のことでしょうね。

私は電気毛布を入れて寝ているのですが、寒さが厳しい夜は、頭にタオルをかむり、あごの下で結びます。農村で働く頬っかむりをした方、もしくは時代劇に登場する泥棒のような出で立ちです。
こうやって活字にして、自分がその格好で寝ている姿を想像しただけでも、可笑しくなってしまいました。怪しい格好なのですが、防寒だけでなく、肌が外気に触れないので乾燥を防ぐ役割もするのです。

夜は寒いと思ってタオルを巻いても、目が覚める頃には顔がほてって逆にのぼせてしまうことがあります。
ここの所よく鼻血を出しています。
家の中だったらいいのですが、起きてから時間が経って忘れた頃に出る事があります。
外を歩いていて、粘り気のないサラっとしたものが伝わる感触があると、慌てて指ですくい、色を確かめます。
人前で、鼻血を出すのは恥ずかしいですからね。

毎晩、最低気温をチェックして電気毛布の温度調節をします。
のぼせるのも、のぼせないのも、鼻血を出すのも出さないのも、自分の判断にかかっているのです(笑)

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2005年12月 3日 (土)

師走ですね~

昼ごはんに母の手打ちうどんを食べる。
地粉を使って打った麺で、茹だるのが早いように薄く延ばすので、うどんと言うより、きしめんと言ったほうがしっくりくるだろうか。
厚さ、幅は様々で、その辺はご愛嬌だが、薄いのはしゃぶしゃぶとして、ポン酢をつけて食べても美味しい。
シコシコしていて、のど越しも良いので、我が家で専門店(?)の味が楽しめる。

師走に入って予定が増えてきました。
年賀状の注文、印刷、母の分も書かなければならない。ここだけの話しですが、母は筆不精なので毎年私が書いています。
母に「ねえ、この人誰?また食事に行きましょうって書いてあるけど、なんて返事すればいいの?」と聞いて、母が喋った内容を私が代わりに書く形です。

なので、母は友人からこう言われたことがあるそうな。
「年賀状の文字、ずいぶん若々しい文字でしたね」
そりゃそうよ、当時中学生の私が書いたのだもの。

あと、地区の人に頼まれて、模造紙に絵を描かなければならない。クリスマスケーキの注文、書き物・・・・・・。
専業主婦っていっても(私は未婚者ですが)家事以外にやることが沢山ありますね。

クリスマスケーキは、20を過ぎた今でも毎年楽しみにしています。
年に一度、デコレーションケーキでお腹を一杯に出来る日。子供の頃は、偏食はダメと言われていたけれど、この日はたっぷりケーキをほおばれるので、指折り数えてました。

というわけで、皆さんもお忙しいと思いますが、お体に気をつけてお過ごしください。

P.S 今夜のひらめ筋GOLDは、プロレスファンの私にとっては夢のカードです。といっても騎馬戦ですが。
チームひらめ筋GOLDの佐々木健介、鈴木みのる、高山善廣、中嶋勝彦って
すごいメンバーですね。

実際の試合としては、小橋建太VS中邑真輔てのも観てみたい。

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2005年12月 2日 (金)

拝啓 レイザーラモンHGさま

HGさんの「フォ~!」が流行語大賞のトップテンに入りましたね。
皆さんにとっては、想定内でしたか?

先日行われたサイン会には、老若男女約1000人ものファンが訪れたそうです。きっと彼の誠実な部分を知っているからこそ、これだけのファンが足を運んだのでしょう。

最初、バク天で目にした時には、ごはんを食べていた箸が止まってしまいましたが、気がつくと私も彼のファンになっていました。

それから、新聞のテレビ欄にHGとか、レイザーラモン、の文字があるとビデオ録画をしていたものですが、最近は露出度があまりにも多く、録画しきれない、というのが現状です。
ビデオの整理をしていたところ、「世界の中心で愛を叫ぶ」の後にHGが登場してきて爆笑してしまいました。
ちゃんと、これはHG用(笑)これは映画用、これはプロレス用と分けて撮らなければいけませんね(^^ゞ

今回は「フォ~!」ランクインを記念して、私が選ぶHG名場面集トップ5をお送りしたいと思います。

1位 細木数子氏 VS HG 「ズバリ言うわよ!」

ヒヤヒヤしましたが、憤慨した細木氏の前でも、キャラを貫き通し、腰を振っていた勇気を称えるべきでしょう。後日あれは、スタッフから収録前に「HGさん、遠慮なくどんどんいっちゃって下さい」と促されていたことが判明。しかし、細木氏の態度が一変したため、スタッフは慌てて「HGさん、抑えてください」とADがカンペを出した模様。収録後HGはたいへん落ち込んだようです。

2位 江頭2時50分 VS HG 「アメトーク」
   
先輩芸人の江頭氏はトーク番組に慣れていないため、堂々としたHGとは違って終始あたふた。そんな中でも先輩芸人の貫禄を見せてくれました。HGに贈った「1クールのレギュラーより1回の伝説を作れ!!」
これは名言です。素晴らしい!

3位 のら猫 VS HG 「バク天」

ある土産店の店主から「店のベンチを一日中占領する猫を退治して欲しい」との依頼を受け早速向かったHG。
観光客が触ろうが、声をかけようが、持ち上げようが一向に動こうとしない野良猫。しかし、スヤスヤ眠っている野良猫目がけ「フォ~!!」と一撃したところ、猫は慌てて退散。
任務を終えたHGであったが、「なんか、わたくし、心が痛いですね」の一言に思いやりを実感しました。

4位 「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦に出場」したHG
   
平松愛理の「部屋とYシャツと私」を熱唱。
歌い終えた後の「実はわたくし、平松愛理さん好きなんですよ」との告白に女心を知る方なんだと感動。これはまさしくハードゲイではなく、住谷正樹さんに戻った瞬間です。

5位 ヨン様 VS HG 「バク天」

日本で売れてテングになっているんではないかと疑問を抱いたHGは、それを確かめるべく来日中のヨン様のイベントに乱入し「ヨン様あなた何様のつもりですか?」と尋ねようという企画。
厳粛な会場でひとり浮きまくりのHG。フォ~!の奇声には、ヨン様も苦笑い。結局、尋ねることはできなかったが、HG乱入で大混乱。
ヨン様笑顔凍りつく、との見出しで東スポの大きい記事になる。
沿道を埋め尽くしたヨン様ファンは、HGが乗ったロケバスが通り、ヨン様だと間違え、騒然となる。
まどから顔を出したのはHGだったが、ヨン様ファンもまんざらでもない様子で手を振ったり、携帯で写真を撮っていた。

拝啓 レイザーラモンHGさま

貴方の活躍をテレビで拝見する事で、大いにパワーをもらっています。常用薬のデパスの100倍効き目があります。
どうか、これからも伝説を作っていってください。

数日前「レイザーラモン」を初めて拝見しました。相方RG(出渕誠)さんも学生プロレス出身なので随所にプロレス技をおり込んだコントでした。なかなか面白かったです。

太く短くではなく、末永いご活躍を期待しています。
プロレスも出来るし、イラストも上手いし、誠実で頭も切れる方なので大丈夫だとは思いますが・・・。
貴方は「いましか流行りませんよ」と悟ったことを言っておりました。

遠い将来的には、たまにしかテレビに出ないけれども、知名度があって、強烈なインパクトのある林家ぺー・パー子夫妻を手本にしてみてはいかがでしょうか。

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2005年12月 1日 (木)

愛しい人よ

苦しいことを経験すると、どうしてこんなにも景色が美しいのでしょう。

小さな幸せを感じることが多くなりました。

私が経験したことすべて悲観しているわけじゃない。

苦しみも、喜びも、悲しみも、怒りも、すべて私という感性を形成してくれました。

その感性があなたと出会わせてくれたのです。
そしてあなたに強く惹かれていったのです。

あなたは私の身体の一部。
あなたという存在は、いまの私のすべて。

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