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2005年12月 7日 (水)

最愛の人のルーツ

自分のブログってつくづく喜怒哀楽が激しいなあ。でも、これが生身の人間。綺麗じゃなくても、自分の生き様を投影できるブログを目指しています。

こうやって前置きするのは、今日の記事に理由があります。
少し勇気が要りました。しかし、母から承諾を受けました。載せます。

母はあの時どうして殺気に満ちた表情をしたのか。鬼の形相で私を殴りつけ、蹴ったのか。刃先が尖った荒々しい言葉で私を突き刺したのか。

店で私がビールを手にすると、顔をしかめ、私の手から奪い取り、棚に戻したのか。「アルコール」その言葉に異様なまでに敏感だったのか・・・。

母に対して、憎悪を持った。
反対に、お互いの愛を確かめ合うように強く抱きしめあった日もある。

母のルーツ。その端々は知っていた。
厳しい言葉をかけるときには、その背景を必ず会話に付け加えた。

母を脅かすその正体の輪郭が、昨夜、浮かび上がってきた。

母は未熟児で生まれた。5歳まで歩行困難だった。
物心つくまで、よく病気にかかり、20歳まで生きられないと言われていたそうだ。

母の親父は酒飲みだった。それが仇になってガンで亡くなった。
闘病期間が長く、祖母におんぶさせられ、病院まで通っていたようだ。
母は祖母の苦労をいつも目の当たりにしていた。親父の酒癖の悪さは、祖母にだけでなく、子供だった母にも及んでいたようだ。

10代後半になると、親元を離れ、1日12時間立ちっぱなしの労働をしていた。

そして母は、見合いで結婚する。
(母が、働きに出てから、結婚するまでの経緯は、多くを知らない。空白に近い。)

私が中学生の時、タンスに母子手帳が入っていた。
自分は、どのようにして産まれてきたのか、知りたくて手帳のページをめくっていった。
するとそこには、思いもよらない記載がされていた。私が生まれる10年以上も前に男児を出産している。私は母にとって初めての子供ではないのか。
私には、兄がいるのか。1970年代ってことは、私の亡くなった父との間の子じゃないのか。

私は衝撃でもない、驚きでもない、不思議な感覚に全身が覆われた。
それは、現実。母子手帳に私は手を触れた。ボールペンの黒い文字もこの目ではっきり見たのだ。

私は静かに母に尋ねてみた。
すると母は、表情一つ変えずに告白した。
「もうとっくの昔の事だから・・・」
私の父と結婚する前に、見合い結婚をした。その男性との間に男児をもうけるが、今でいうドメスティックバイオレンスに遭い、生後数ヶ月のわが子を残して逃げ出すように家を飛び出した。

母の辛い過去を思い出させたくない。心のかさぶたになった箇所を、剥がして再び痛み出すようなことをさせたくない。
頭の隅に引っかかっていたが、私が現在進行中の作業の取材という形で、昨夜聞いてみた。

母は強し。肝っ玉母ちゃん。まさにそんな人。

私は恐る恐る言葉を切り出したが、笑みさえ浮かべて「もうとっくの昔の事だから・・・」あの日と同じように、詳しく語ってくれた。

聞き終わった後、心が震えた。放心状態になった。
今日の未明、布団に入る頃には、涙がでてきた。

どうして、警察に飛び込まなかったのか。女一人では、子供を養ってゆく力がない。地獄から解放されること、それは同時に愛しいわが子との別れでもあったのだ。

そして、見合いの仲介をした人物を恨んでいる理由が解かった。

母は「私ってつくづく男運がない。たかこは結婚しなくてもいい」とまで言った。

私が小さい頃、親戚の家に遊びに行くと毎回「お母さんをよろしく頼むな」と必ず帰り際に言われた。
ある時は「おまえの母ちゃんは、長生きしないかもしれない。お前がしっかりやっていかないと母ちゃんが居なくなった時、苦労するから・・・」

「誰が長生きしないって言ったのよ!医者が言ったの。誰がそんなこと決め付けたのよ・・・」
冷酷な言葉であった。心が沈み、返す言葉がなかった。

後に母にこの事実を告白したら、凄く怒っていた。

そんなこと言われたが、母は私以上に元気だ。明るいしひょうきんだ。
誰かが勝手に決めた余命宣告の年齢をとっくに過ぎているのに、母は健康で元気なんだから。

母の苦労に比べたら「不登校」「イジメ」「病」なんて、ちっぽけなものだ。
だから母は、私がイジメられているといっても「そんなもの、張り倒せ!」
「やられたら、殴り返せ!」などと手荒い扱いをしたのだ。
(最後は、事情を詳しく知って私の力になってくれたが)

世の中にはとてつもない、壮絶な経験をしている人がいる。
口には出せないような、ドロドロしたものを心の奥底にしまっている人もいる。

それに比べたら、私は、まだまだ、小さい・・・。

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コメント

こんばんは。
何と申し上げていいのか、言葉に悩みますが、人それぞれ色々なものを背負っているのですね。
背負っているものの重さに負けない強さを持ちたいものだと思います。それが持てれば、他人にも優しくできると思いますし・・・。

投稿: kenji | 2005年12月 7日 (水) 18時56分

こんばんわ。
タイトルで何か、同じ香りがしたので読ませていただきました。
人によって苦しみ・痛み、違います、これは性格と同じように。
だから比較はしないことにしています。
だって。
私の場合も、やっぱり友達に話するとみな泣いてしまうから。
自分がかわいそうだ、惨めだ、とも思わないことにしている。
これはきっと私の定めなのだなと思っているから。
誰も否定はしないよ。
批判もしないよ。
ナイフのような言葉でえぐりたくないから。

アタシは通院、6年目です。

投稿: 真昼 | 2005年12月 7日 (水) 19時34分

>kenji さん、ありがとうございます。
>背負っているものの重さに負けない強さを持ちたい
まさに母は、その強さを持っている人です。性格というのもありますが。
私だったら耐えられないです。

>真昼さん、コメントどうもありがとうございます。

これは、今まで隠していた事です。
「比較はしないこと」は大切であり、それを言葉だけでなく、少しずつ受け入れられるまで時間がかかりました。違う社会に出たら、また再び比較してしまう日も訪れるかもしれませんが。
とにかく自分を慈しみたい。

真昼さん、コメントの文面から思い当たる人がいます。もしかして・・・。
間違っていたらごめんなさい。。。

投稿: たかこ | 2005年12月 7日 (水) 23時54分

記事読ませていただきました。
いきなりプロレスと結びつけること、お許しください。
よく、プロレスは何でもアリだ、なんて言いますよね。
人生も何でもアリだな、って最近よく思います。
私事ですが、この年齢になって、はじめて型にとらわれない生き方に
気づきました。今までは理想の生き方を定めて当てはめようとして、
当てはまらないで苦しむ日々だった気がします。でも今は違います。

お母様がおっしゃるように、結婚しないのも一つの道だし、
するのも一つの道ですよね。お母様のようにすごい経験される方が
居るかと思えば、苦労しないで生活する人も居るかもしれません。
正直何が正解なのか、自分にはわかりません・・。
ただ、自分のこと小さいなんて思わなくてもいいと思います。
人間、生きてるだけで立派だって自分は考えてます。

くどいようですけどホントもう、何でもアリなんだと思います。

投稿: クロミン | 2005年12月 8日 (木) 03時29分

クロミンさん、長文を読んでくださりありがとうございます。

>この年齢になって、はじめて型にとらわれない生き方に
気づきました。今までは理想の生き方を定めて当てはめようとして、
当てはまらないで苦しむ日々だった気がします。でも今は違います。

そんな考え方は、やはり西村さんとの出会いで学びました。
今年の3月、掲示板に「人生は答えがないからおもしろい」と書き込まれました。
「あなた自身の行動ひとつで、どうにでも人生は面白くもなりつまんなくもなりうるのです。全てあなた次第。自分を愛しなさい。標準を自分に合わせなさい。他人じゃありません。」

私は、芸術の世界に身を置く事、そしてこのブログで自分を表現する事で、クロミンさんのおっしゃる「人生も何でもアリ」そのコツを少しずつ掴めるようになりました。

オリジナリティー・自分色、大切にしてゆきたいですね。


投稿: たかこ | 2005年12月 8日 (木) 14時34分

たかこさん、せっかくのご案内をいただいておきながら、遅くなってしまってすみません! 実は、ちと入院なんぞしておりました。

お母さまの歩んでこられた道程……胸が痛みました。いろいろなことを考えました。

離婚されるときに、大切なお子さんと離れなければならなかったのには、当時の時代もあったのでしょうね。「子どもは夫の家のもの」というのが、当然とされていたころだったのでしょう。

お兄さまと離れて、たかこさんをお生みになられるまでの10年間……たくさんの葛藤と戦う日々だったのではないかと想像します。決して平坦な道程ではなかったことでしょう。
ちょうどお兄さまとおなじくらいの年ごろの子どもを見かければ、きっと「あの子も、これくらいになっているころかな……」と思いを馳せられたことでしょう。

お母さまは、離婚後もお兄さまと会わせてもらえていたのでしょうか……おそらく、そうはいかなかったのではないかと想像します。
せめて、お兄さまが成人してからででも、お会いになることはできたのでしょうか……。

ご再婚も大変に勇気のいることであったと思います。

10年という長い月日が、お母さまの苦悩と傷の深さを物語っているようです。10年、10年、10年……。

ご親戚の方々は、お母さまのご苦労などをご存知だったから、幼いたかこさんに件のような言葉をかけられたのでしょうが、幼いたかこさんにとっては、重すぎる、怖すぎる言葉でしたね。つらかったでしょう。

わたしは離婚して5年の月日が経ちました。
たかこさんが、お母さまのことをお話くださったから、今度、わたしも自分の話をさせていただこうと思います。それから、わたしの親友のお母さまのお話と。

しかし、この文章を読んで、思いました。
「たかこさんは、本当にお母さま思いの方なのだな」って。
お母さまにとってのなによりもの幸せは、たかこさんのような娘さんに恵まれたことなのではないかと思います。

投稿: 大川内 麻里 | 2005年12月21日 (水) 11時45分

こんばんは。

コメントありがとうございます。長文読んでくださって感謝しています。
入院されていたとは知りませんでした。大変でしたね。
その後からだの調子はいかがですか。無理しないで下さい、っていっても何かとお忙しいと思いますが、お大事になさって下さい。

母の苦労はやはり計り知れませんね。
以前このブログで大川内さんのご経験を告白してくださったので、この記事を書いたようなものです。

母は「あの子どうしてるかな」って口にする事もあります。
30年以上経つのでしょうが、生後数ヶ月くらいで別れてから一度も会っていません。私は子供を持った事がありませんが、聞いてるだけで胸が張り裂けそうですね。

中学生の時でしょうか。母と駅のホームに立っていたとき、その夫だった人を発見して、母の掛け声でさっと身を隠した事があります。あっちは気づいていませんでした。

私は母に心配をかけっぱなし。母よりも一日も長く生きる事が願いです。

これからも私が出来る範囲で、母を助けてゆきたいと思います。

また差し支えありませんでしたら、 大川内さんとご親友のお話し聞かせてください。

寒いので、どうかご自愛ください。

投稿: たかこ | 2005年12月21日 (水) 22時40分

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