« 最愛の人のルーツ | トップページ | 必読!セールス電話の対処法 »

2005年12月 8日 (木)

人の視線、私の視線

愛を乞い、刺激を与え、快感を受ける。時には凶器にもなる。

『目は口ほどにものを言う』

多感な思春期の心は、人の目の色ひとつで偏見だと受け取り、差別されているのではないか、被害妄想をする。

大人たちの視線を感じなくなると、それに寂しささえ覚え、後に視線は自分に快感を与えてくれていたのだと気づく。

視線に敏感だった。良い意味でも、悪い意味でも。

母の知り合いに目に見える障害をもった人がいた。
私はその方と、しょっちゅう顔を合わせていくうちに、当時の言葉で形容するならば「それがその人である」いわゆる障害者という感覚が無かった。

しかし、ある日のこと。
母と医者に行ったとき、その方が椅子にかけていた。私たちはその隣に座った。向かいに中年男性が座っていた。中年男性が、障害を持つ知人に何ともいえない視線を注いでいた。眉をひそめ、口をへの字にし、下から上へ黒目が動いた。そして、顔のあたりで視線が止まり、凝視している。

小学校低学年の私はそれが、なんだか許せなかった。知人はその視線に気づいていない。母と会話に興じていた。

私は自分の目に神経を集中し、その中年男性に睨みをきかせた。
視線による無言の警鐘。渾身のメッセージ。

相手は私の視線に気づかない。そんな視線による警鐘を送っていたら、受付の人に自分の名前が呼ばれて、席をはずした。

私の思いが届かなかった・・・。その後も、悔しさのようなものが残り続け、もやもやしていた。

この一瞬の出来事が、鮮明に目に焼きついている。
人の視線に敏感になったきっかけかもしれない。

私は、欠席がちになると、学校の先生たち、保護者たち、世間から、視線を感じるようになった。
それが不快に感じ、いつも人目を気にし、こそこそするようになった。

しかし、その視線が何ともいえない快感で、視線を感じなくなると寂しさを覚える事さえあった。視線たちは、ワイドショーに登場する有名人が浴びているカメラのフラッシュみたいなものだった。

視線を感じる事で、いい方向に作用したのは、外観。
身なりをキチンとしよう。大人っぽい服装をするようになった。

思春期になると、女の子の体は、丸みを帯びてくる。自分の体の変化に神経質になった私は、それを阻止しようと思って、夕食を控え目にした。

でも女の子はみんな同じ。久しぶりに登校したら、同級生の女の子の体が大きくて、胸にもお尻にもボリュームが出ていた。
私は小さいほうだった。

自分の視線のひとつひとつが、相手に色んな影響を及ぼすのではないか。
そう気づいた日から、心掛けている事がある。

いつも相手に優しい視線でありたい。笑顔つきで。

|

« 最愛の人のルーツ | トップページ | 必読!セールス電話の対処法 »

コメント

今晩は! 始めまして。
大川さんのブログから辿ってきました。

心の病気は、他人から分かってもらうのが難しいですね。
一見すると、怠けているようにしか見えないし・・・。
でも、本人にしてみれば、苦しんでいるのを分かってもらえないので、
余計に苦しみが増してゆく。

心の病気になる人は、きっと心が優しいのでしょうね。
優しいから、医者に行った時、中年男性の視線が許せなかったのでしょう。
でも、世の中って、興味本位で見る人が多いのが現実です。悲しいけど・・・。

自分で自分の事が嫌いですか?
駄目な部分も含めて好きになりましょう。
完璧な人間は存在しません。
お互い分かり合える同士が必要です。
あなたの場合は、お母さんかな?

人という字は、斜めになっている棒をもう一つの棒が支えて、人になっています。
自分の力以上に頑張る必要はないし、
マイペースでゆっくり、慌てず行ばいいんじゃない。

よかったら参考までに・・・。
カウンターの設置方法
http://mk21onlyjust.cocolog-nifty.com/myroom/2005/07/post_4caf.html

投稿: Chobi | 2005年12月 8日 (木) 22時50分

こんばんは。
自分にとっては「他人の視線」は恐怖以外の何者でもありません。本人的には認めていませんが、視線恐怖、対人恐怖のようなものを持っている気もします。
自分は小さい頃、親の仕事の都合で転校が多く、そのたびに転校生に対する好奇の視線に晒されてきました。
その土地の言葉を喋らない標準語の子供と言うだけで異端視され、新奇な眼差しで見られる・・・。
「俺を普通の子供としてみてくれ」と言う思いは届かず、いつしか自分の心を閉ざすようになっていったちょっと悲しい想い出です。
人当たりよくしようとするのは、自己防衛以外に、そんなところにも原因があるのかも知れません。

投稿: kenji | 2005年12月 8日 (木) 23時33分

Chobi さん、コメントありがとうございます。

>駄目な部分も含めて好きになりましょう。
完璧な人間は存在しません。

それは色んな人に言われてきた言葉です。
欠点のあるもの同士が集まって、お互いの足りない部分を補う。
むしろ、自分の欠点をプラスのカードにいくらでもひっくり返えせる場が私にはありますから恵まれています。
まだ、自分の病というか、症状は軽度のほうです。
長年付き合ってくれば、抱えて生きていくコツみたいなものが、だんだん解かってきます。生きようと思えば、様々な生き方がありますから。
夢もあるし、誇りを持っていますよ。

>kenjiさん、私もふとした瞬間に、視線恐怖、対人恐怖のようなものが現われるときがあります。それは、症状が面前で出た時です。
パニックになります。

思春期のある時期は「人の視線は凶器」だと思ってました。
睨み返すエネルギーなんてない。引きこもりになりました。

>人当たりよくしようとするのは、自己防衛以外に、そんなところにも原因があるのかも知れません。

作り笑いが多かったですね。どんなに辛かったかは、当時の自分になってみないとよく解からない部分があります。


投稿: たかこ | 2005年12月 9日 (金) 01時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人の視線、私の視線:

« 最愛の人のルーツ | トップページ | 必読!セールス電話の対処法 »