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2006年2月 1日 (水)

苦しむ子供が増えないためにも・・・

今朝、病院に行く前、フジテレビのこたえてちょーだいを見た。
用意があったので、じっくり見ていられなかったが、まるで自分の小学生時代を再現しているようなVTRがあった。
不登校の女の子とそれを支える母。たしかその家庭も片親だったと思った。
ある日、教室には通えないので、保健室に登校するようになった。優しい保健室の先生の理解もあって、会社をやめた母親同伴の登校も許されるようになる。たまに「○○ちゃん教室に来ない」とクラスメートが誘いに来るが暗い表情で拒否。しかし、学校に慣れていくうちに、教室にも通えるようになった。VTRはそこで終了。
やはり背景には心の病があったそうだ。家庭環境も大きく影響しているらしい。
まあ、わからない人は意気地なしだ!甘えだ!って言うが現実は厳しい。見た目だけの判断は要注意。
子供の言う事だからって、大人も油断していると大変なことになる。番組の中でも「手遅れにならなくて良かったですね」と言っていた。
自分の場合は手遅れだったのかもしれない。その頃は、的の外れた部分にばかり目がいって、病気だとは誰も思ってなかったんじゃないかな。当の私も夢にも思わなかったよ・・・。
他の不登校の子と関わる事があっても、金銭感覚が全然違うし、中学生で煙草を吸うような人もいて、これじゃ普通に教室に行けるんじゃないかって人がいた。深い部分は知らないけど、そういう人たちの原因は家庭環境にあるのかな。
同じ机並べても、自分と同じようなケースの人は結局いなかったような・・・。

不登校の背景にもしかしたら、心の病があるかもしれない。うつ病、精神分裂病の前ぶれだって自覚があるひとは少ないと思う。本人が悪い、家庭が悪いとか言うレベルじゃない。早めに大人が気がついて診察してほしい。子供が自分と同じような症状で苦しまないためにも・・・。

明日も都合があって病院。また詳細は明日以降書くかもしれない。

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コメント

たかこさん、こんにちは。最近、なかなかコメントできずにいたのですが、いつも読ませていただいてますよ^^
たかこさんのおっしゃるように、心の病を抱えている不登校の子の存在、きっといるから、大人たちにみのがすことなく、適切な対応をしてほしいものですね。保健室登校、わたしのころにもいたけれど、保健の先生から、その子の両親に理解してもらえるように話をしてほしい。いまはスクールカウンセラーなどもいるのだし、そういう方からでも。
やはり親の理解がないと難しい問題なので、先生やスクールカウンセラーや近所のひとでも、とにかく、どこのどんな大人であってもいいから、その子の両親に、その子のためにどうするべきかを教えてあげてほしい。
ちなみに、わたしの中学生のころは、不登校の不良系の子たちのあいだでは「おまえは優等生だから」「学校にいかないくせに勉強ができるから」「いい家庭の子だから」と一線を介され、学校に行ける子には「学校にきたりこなかったりする」と変な目で見られ、先生には「こんなに問題のない子なのに、なぜ不登校傾向にあるのか」と不思議がられるだけで、どこにも属せない、だれにも理解してもらえない孤独感を感じていました。本当の自分をだれも知らないんだって。
暴れて泣き叫んで、大雨のなか、外でうずくまっているわたしに「どうしたの?」声をかけてくれた見知らぬひと、運び込まれた病院で、母に「この子の話を聞いてあげるようなところ(病院)に連れて行くこと」を勧めてくれた看護師さん(当時の母には、その話の意味を理解してはもらえなかったけれど)に、ぬくもりを感じていました。ほんのひとときだけの関わりの相手に。

投稿: 大川内 麻里 | 2006年2月 2日 (木) 10時24分

自分のことを誰にも分かってもらえない孤独感は計り知れないですね。
学校に行っていないだけで、手の平を返したように接し方が変わる人がいました。

自分の気持ちを言葉として表現するのが苦手でした。誤解されることもあったでしょうし、コミュニケーションが上手く出来ませんでした。ためこんで、ためこんで、それがある日大爆発したことがあります。
言葉でも、態度でも理解してもらえない。だから暴れる。命がけの訴えでした。

心から理解してくれる大人を求めているんです。自分に手を差し伸べてくれる大人が現れた時に、異常なほど嬉しく感じます。人の心の優しさに敏感になっていたのです。(今になって振り返るとですが)。

いまはほとんどの学校にスクールカウンセラーがいるそうですね。カウンセラーに限らず、心の病は身近な事だから、大人が聞く耳をもち、その子にあった賢明な選択をしてほしいです。

投稿: たかこ | 2006年2月 3日 (金) 00時13分

暴れる……わたしは親を相手にだったけれど、わたしも暴れていたことがあります。言語化できない訴えをわかってほしくて。あまりにも理解を得られないから、「わかってほしいなんて甘えだったんだ」って自分を責めました。あのころのわたしに、もっと自分の内面の言語化能力があったらと考えたこともあります。
この体験があるから、たかこさんの言葉でも態度でも理解してもらえない結果、暴れたということ、よくわかります。わかってほしかったんだよね。たかこさんのこのブログを読んでいて、言葉で当時の気持ちを表現できているように見えます(もっともっと言葉にしていない苦しみがあったでしょうが)。このブログに書いているようなことを、当時のまわりの大人たちにわかってほしかったんだよね。訴えたかったんだよね。
「命がけの訴え」という言葉が、心にずしんときました。

わたしたちの親の世代は、まだ心の病気に正しい知識が浸透していなくて偏見があったと思うんです。だから、わたしたちの親は、学校に行かせようとするだけで、心を診てくれるところには、なかなか連れて行くことはできなかったんだと思うんです。

いまは、もうそんな時代じゃない。だから、大人には子どものありのままの状態を見て、受け入れて、それに適した対応をしてもらいたいものですね。

投稿: 大川内 麻里 | 2006年2月 3日 (金) 08時17分

>仰るとおりなんです。
暴れる、発狂するのは親に対してなんですが、年に数回ほどあったと思います。母は私の同年代の子より昔の人で、父が亡くなり、育児を手伝ってくれていた祖母がもとの家に帰り、女ひとりで何もかもしなければいけない。子供の細かい部分に気づく余裕がなかったんだと思います。
よく喋り、よく動き、冗談のきつい母ですが愛情を持って育ててくれている事に感謝しています。

母は強しですね。私は結婚するかも分からないし、母親には一生かかってもなれないかもしれません。

それにしても、子供でもおしゃべりが上手で、大人より鋭いところをついている子がいますね。凄いというか、生意気というか(苦笑)。自分もそんな風に自分の気持ちを話せる子だったら、また違った人生になっていたのかなと思います。

投稿: たかこ | 2006年2月 4日 (土) 00時04分

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