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2006年5月 3日 (水)

幸せはシャボン玉みたいなもの

私の祖母は幼児の時に、子供を妊娠中の母が急死しました。祖母は夫にも死なれました。(母からしてみれば父が死んだことになる)。
私の母も、姉に紹介された男と結婚するも、連日の暴力に耐え切れず、生後間もないわが子を置いて、裸足で外へ飛び出しました。
二番目の夫つまり私の父と結婚するも、私が生まれる一ヶ月前に急死してしまいました。

祖母も母も私も片親。祖母と母は「男運が悪かった」と話す。
結婚=幸せでしょうか。私の生い立ちはプロフィールと過去のブログを読んでいるなら知っていると思いますが、人並みの幸せは、果たして自分には訪れるのでしょうか。幸せを手に入れても、すぐに消えてしまうんじゃないかという不安がいつもあります。

幸せはシャボン玉みたいなもの・・・。

私は母の存在が大きい。世間が母をどう悪く言おうが、味方である。愛している。
母が生きてるうちは死にたくない。子供が先に逝くほど親不孝なことはないと思うから。

母が私より先に死んだなら、願いが叶ったことになる。私はあらゆる束縛から解き放たれ、自由になる。
廃人になってもかまわない。

母のことを思うと自殺などできなくなる・・・。

祖母のぶんも、母のぶんも、たかこちゃんが幸せになってね。今の自分にはそんな自信がない。

皆さんゴメンね。ゴールデンウィークなのに重い記事書いちゃって。


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コメント

こんにちは。

結婚=幸せ。そうなのかどうか自分には分かりません。というより、自分自身がそれを否定して生きてきた経緯もあるので。ただ、20代30代になると、時間とか感情とかを一周分体験してしまうせいか、「否定したはずの感情」が時おり頭をもたげるときがあります。自分が重いエントリを書くときは大体それが原因です。

たかこさんがお母さんを想われるように、「『大切な人』を想い続けていれば幸せ」という考えの方も、「それでは不足」という方もいるようです(「恋愛」カテゴリのBlogエントリを見ていると、考えさせられる事が多かったりします)。「幸せの形は人それぞれ」ではありますが、「自分にとって幸せとは何か?」というのは、自分にとっての重い課題だったりもします。それはシャボン玉のように儚いものかも知れません。逆に頑健強固なものなのかも知れません。少なくとも今の自分には出ていない(出せない)答えではあります。

すみませんね。まとまらないコメント書いて。ちょっと感情的になってます。

投稿: kenji | 2006年5月 3日 (水) 13時20分

キッチンです。

私は、二人の子を父親無しで育てています。
結婚=幸せ・・・かは、私にもわかりません。
「今」の積み重ねが、人生かなって「感じ」ます。

たかこさんがおっしゃるように、子供に先立たれるほど悲しいものはないのではないか、と考えます。

親は、子が、
自信などなくても、そこにいてくるだけで、いいのだと思います。
私は、そうです。
そのままでいてくれるだけで、いいです。

愛するたかこさん、無理に答えなど出さなくても、そのままでいいと思います。
幸せか、幸せじゃないかは、この世から、息絶える時に、わかるものだと、私は思います。
ゆっくりと生きていきましょうね。

愛するたかこさんへ

投稿: キッチン | 2006年5月 3日 (水) 23時00分

こんにちは。根岸のねこです。
結婚だけが幸せではないと思いますが、いい人を見つけて一緒に暮らすことは幸せだと思います。
たかこさんのことを優しく思ってくれる人を見つけるために、時間がかかってもいいからじっくり見極めることなのでしょうね。もっとも好きになると理性が働かなくなることも事実ですが。

まだ死を考える年齢ではないですから。私もそうです。
いつでも楽しいことが待ってると思って暮らしましょう。

投稿: 根岸のねこ | 2006年5月 4日 (木) 00時20分

>kenjiさん、ご意見ありがとうございます。

せっかくのGWなのに重い記事に時間を割かせてしまってすみません。

たかこちゃんにいい人いるんだけどって紹介の話を頂くので・・・考え込んでいました。自分の将来を人に決められそうになるのが嫌だったのです。

人生まだ長いですからね^^

>キッチンさん、心強いコメントありがとうございます。

母も私がいるだけでも幸せだって言ってくれます。お互いが必要としています。

キッチンさんと出会えたことも幸せな事です。心から思います。

こんな私ですが、これからもお供よろしくお願いします。

投稿: たかこ | 2006年5月 4日 (木) 00時34分

いまちょうどコメントを書き終えたら、根岸のねこさんのコメントが入りました。

そうですね、まだ人生長くて60年、50年ありますから。親は感心しないかもしれませんが、死ぬまでに相手を見つけられたらいいなんて・・・
とも思います。

女性特有の症状で考え込んでしまいました。

コメントを書いてる時間は楽しいです(*^^)v


投稿: たかこ | 2006年5月 4日 (木) 00時46分

たかこさん、お加減いかがですか? こうして、みなさんとお話されて、気持ちが軽くなれたかな^^ みなさん、とてもあたたかいお方ばかりで素敵ですね^^

“自我”。“自分自身”という存在。

これには、ひとつめに「生育歴などから、家庭などの環境によって形作られるもの」が、まずあると思うんですね。

対して、それとは、まったく異なるとまではいわないけれども(←それまでに形成されてきた自我に、すくなからず重ねて形成するものだから)、成長していく過程で、「自分自身で確立する自我」というものがある。それを自らの手で確立するときがくる。

後者を形成しきれたときに、ひとはひとりの人格者として、精神的な自立をし、自分の足で立つものだと考えます。

これは、ほとんどのひとが(自覚せずとも)通る道。
いまのたかこさんは、もしかすると、その途中過程にいるのではないかな?

だから、お母さまやおばあさまのお言葉やご体験、存在が、たかこさんのなかで、とてもとても大きいのではないでしょうか。
お母さまやおばあさまが大きく大切な愛する存在であることには、いつになっても変わりはないでしょうけれども、わたしから見ると、差し出がましいようですが、それがね、たかこさんが、必要以上に重く背負ってしまっている十字架であるように感じてしまうんです。それが、たかこさんに不安や焦燥を抱かせてしまっているのではないかとすら思えてしまうんですね。

たかこさんを束縛し、自由を奪ってしまっているのは、そういった重圧であり、第二の自我の確立、つまりは自立の過程、その渦中でのもがき、苦しみなのかもしれません。

> 結婚=幸せ
わたしは離婚、そして1歳にも満たない娘との別離を経験しています。個人的に思うのは、いかなる男女であっても、『結婚=幸せ』とは限らないということ。結婚生活には、さまざまな出来事やアクシデントがあり、時間の経過もあります。夫婦といえど、愛情は永遠に変わらないとは限らない、一過性のものである場合もある。

これは、ひとつのケースとして述べているだけであって、すべての夫婦がそうであるというわけではありません。

もちろん、『結婚=幸せ』であり続ける夫婦もいるし、深い愛情という絆で結ばれ続ける幸せな夫婦もいます。

ただ、それは、やはり、本人同士、もっといえば、自分自身によるのですよね。お互いが自立した存在、一対一の人格者同士として暮らしていくか、それとも自立できずに、自我の確立が不安定なままであるだけに、依存あるいは共依存の関係に陥るか。

きっと、いまのたかこさんには重い課題だと思います。だから、無理に考え込む必要はありませんよ^^
いつか、自分自身とはなんたるや、自我とはなんたるやを、ふっと考えられるときがきたら、そのときに心構えをすればいいのですから。

> 人並みの幸せ
ねぇ、たかこさん。
『人並み』ってなんでしょうか? 『普通』ってなんでしょうか?

わたしも、学校に行けなくなってしまったときなどに、「なぜ『人並み』にできないのか」「どうして『普通』のことができないのか」と、激しく母から叱責され、苦しみました。

でも、いまにして思えば、母の求めていたのは『世間一般』の価値観での『人並み』『普通』であっただけ。
そもそも『世間一般』とはなんなんでしょうか? そんなに価値のあるものなのでしょうか?

離婚コンサルタントの池内ひろ美さん(彼女自身、離婚経験者です)と、お仕事でお目にかかったことがありました。
そのとき、温和な家庭を築いていた上司(編集長)が同席していて、彼は気遣いのつもりだったのでしょう、「自分は、ごく『普通』の家庭なものですから、正直、わからない部分も多くて……大川内は離婚も経験していて……」というようなことをいったんですね。
池内さんのお答えは、こうでした。

「それは、あなたにとっての『普通』にすぎないのであって、わたしや大川内さんにとっては、これが『普通』なんです。そもそも『普通』ってなんでしょうか?」

『人並み』がなにかなんて、所詮は、ひとそれぞれの価値観にすぎないもの。たかが、そんな程度のもの。

そんなものに振り回されたり、自信を喪失してしまったりすることなんてありませんよ、たかこさん。たかこさんは、たかこさんの価値観で生きていけばいいのではないでしょうか。だって、たかこさんの人生は、ほかでもない、たかこさん自身のものなのですから。

たかこさんは、たかこさんですよ^^

とても難しいことかもしれないけれど、自分が自分であることに、もっと自信をもって生きていっていいのではないでしょうか。

たかこさんの人生は、たかこさんのもの。たかこさんの生きる道は、たかこさんのもの。

ちなみに、重い記事だなんて、みなさん、お感じになられてはいらっしゃらないと思いますよ。たかこさんは優しい方だから、優しすぎるくらい優しい方だから、そうやって、みなさんのことを思いやられているのでしょう。でも、この一連のみなさんのレスを拝見して、だれもが、そんなふうにはとらえていない。むしろ、たかこさんのことを大事な大事な存在として、大切に言葉を綴られていかれたご様子が、感じ取られます。

たかこさんは、たかこさん。
これ自体、怖いこと、勇気のいることかもしれないけれど……でも、欠けがえのない貴い存在であるご自分を愛してあげることができたらな――わたしは、そう願っています。

(※わたしのブログにも、いま書いたこととは、またすこし別のことを書きました。1日考えに考えて。もし、気が向いたらでいいので、見てみてくださいね^^)

投稿: 大川内 麻里 | 2006年5月 4日 (木) 20時11分

麻里さん色々とありがとうございます。
なんだか生きる指針のようで大切に読んでいます。

明治43年生まれの祖母、そして戦時中に生まれた母。細身で腰が曲っていて、温厚な祖母に、明らかに他の同級生より年をとっていて、賑やかだけれども、どこか繊細な母。幼心にも二人の過去の暗い人生は汲み取れる気がしました。そんな様子を見て育った私は2人に余計な心配をかけたくない・・・ヘンな所にも気を使う神経質な子供に育ちました。

「お父さんがいないから、おまえがしっかりしなきゃ」

それは、二人からも親戚からも常日頃言われてきました。

「お母ちゃんは長生きしないかもしらん。よろしく頼むなっ」

親戚のある一人からは、こういった声をかけられました。

私は「誰がお母さんが長生きしないなんて決めたんだろう・・・。医者がそうハッキリ言ったのか」と心の中で呟き、深く落ち込みました。

何と言うか、子供時代から私は他の子と違う。どうして皆はそんな笑顔になれるのかと疑問をもち続けて生きてきました。
元気な時はもちろん元気なのですが、なんか周りの子が眩しく見えてましたね。

でも、そのぶん内に秘めた闘志は熱く「大人になったら凄い事をしてやるっ!」野心を生み出しました。これは現在進行形です。

余計な気を使わず、心の重荷など捨て去って、心から信頼して、裸で抱きしめてくれる人間がほしいですよ。正直。

人並みの幸せ。
「これは不登校になった時、全校児童800人近くいてなんでアンタだけがこんなに休んでいるのよ」と言われたし、田舎なので異端児扱いされました。なかには心配してくれる人もいましたが、大人の汚い部分をが目立ってしまいましたね。むしろ自分は被害者なのに、人の勝手な憶測で白い目で見られるのがものすごーく嫌でした。ムカツキました。
恐ろしいことに私はそれに洗脳されて人並みの幸せは、自分には無縁なのか、
順調にいってる人たちばかりで、浮いていたのは確かです。
いまでも学校の嫌な出来事ばかりが思い出されてしまいます。

でもですね、いまようやく自分が持ち続けていた「人並みの幸せ」というものから脱却しつつありますよ。ホントに少しずつではありますが。

このブログの皆さんからの賢明なアドバイスから後押しされて・・・。

ものすごく死にたいようなひどい日もありますが、毎日がいっぱい、いっぱいですが手を繋いでくれる人がいますから^^

喜怒哀楽が激しい人間ですが、これからも手を繋いでください。

本当にありがとうございます。

投稿: たかこ | 2006年5月 6日 (土) 00時06分

こんにちは。根岸のねこです。
今が幸せなのか不幸せなのかを知ることは難しいことですね。
私も人生を振り返るといつも辛かったと思うけど、他人から見ればどうだったのか分かりません。そもそも他人と比較できるものではないし。
お金、パートナー、やる気、会社、学校いろいろ考えても、充足していれば幸せとも思えないし。

<余計な気を使わず、心の重荷など捨て去って、心から信頼して、裸で抱きしめてくれる人間がほしいですよ。正直。

これが究極の目標かな?でもこれだけの条件はなかなか得られない。いくら親しくても結婚していても他人の考えはよく分からないことが残ってしまうから、100%信頼できない。

でも何かを得たい気持ちが全ての始まり。欲求が満たされることがうれしいから。だから私は今できることをがんばるのかな。
これが幸せの追求には思えないけど、毎日食べていけて、妻と生活して、いろんな人と出会えて話せて、そういう毎日が自分の毎日だとおもうから。
たかこさんと出会えてこうして読んでもらいたいと思うのも幸せの1つと考えれば、私はやっぱり幸せだと思えます。

投稿: 根岸のねこ | 2006年5月 6日 (土) 21時50分

根岸のねこさん、こんばんは。

>余計な気を使わず、心の重荷など捨て去って、心から信頼して、裸で抱きしめてくれる人間がほしいですよ。正直。

究極の目標ではないですね。今現在の私の欲求です。

過去にも様々な目標を持ち、達成できたものはありますが、ゴールではありませんでした。欲求が満たされたと思っても、新たな悩み・課題がでてきまして、ゴールだと思って努力してきた時間は無駄ではないけれど、それはただの通過点だったのだと・・・。

だから、私がいま考えている「肉体的・精神的な部分もひっくるめて抱きしめてくれる人間が欲しい」という欲求も、日が経てば、消え去ってしまうのかもしれません。

いくら相手を信頼していても絶対に告白できない事はあります。ブログ上に告白できる範囲にも限りがあります。
(だから、抱きしめてくれる人間がほしいですよ、というのが究極の目標では決してありません)。

その日その日の私を書いて(薬が入っていても理性は残ってますから)それに対してのコメントが薬となり、今日まで生きてこれました。
コメントからその日その日の生きるパワーを頂きました。

考えを言葉にするのは難しいです。私が嬉しいと思っていて、その気持ちが言葉を通じて相手に伝わったならこんな幸せなことはありません。

未来にとらわれず、命の危険に囲まれている野生の動物が、今という時間、一分一秒を生きてるように、生きられたら。

自分で自分の首をしめることがないよう、取り越し苦労をしないよう、生きられたら・・・今の私の宿題です。

すみません、言葉がまとまりません。

投稿: たかこ | 2006年5月 7日 (日) 00時50分

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