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2007年11月22日 (木)

肯定してあげたい

小さい頃、私にやさしく接してくれた親族が先週死んでいたことをおととい知る。
男性で年齢は40代後半。障害を持っていた。

動作が遅く、感情が顔に出ず、人が問いかけない限り、自ら喋ることがほとんどなかった。

父親が営む飲食店で手伝いをしていたが、父親が他界してからは、店を閉じ、継母と二人で暮らしていた。

周囲からは、10年以上も父親の弟子に就いて、どうして料理を覚えることができなかったのか、店を継ぐことができなかったのか責められた。
これは、男性の障害に理解がなく、行動に歯がゆさを持った人たちの浅はかな言動だった。

私も障害があるとはまだ知らない頃、優しい人だが、男性の様子に心配を持っていた。
そんな気持ちを抱きつつも、店を閉じてからは、男性との関わりは希薄になっていた。

昨年、男性の障害に対する支援法ができて、援助を受けていると母から聞いた。

たまに、町中で、軽やかに自転車をこぐ姿を見かけた。元気そうだなと思った。

最後に見たのはいつだろう。
時期は忘れたが、今年の上半期。
自転車にまたがる男性は、以前よりかなり太って、白髪が増えた髪はボサボサで、無精ひげが伸びきっていた。しばらく洗濯していないだろう服に下っ腹が窮屈そうに突き出ていた。

あまりの変わりように私は血の気が引いた。

父親が死んでから家を増築し、男性と同居する継母は夜仕事に出ていた。
経済的に困っていることは聞いていない。

家の前を通るとたまに車が数台止まっていた。

長いことその土地に住んでいて、知り合いもいるだろうし、店の常連さんもいた。

私は大丈夫だろうという気持ちと、自ら進んで発言できない本人が悩みを打ち明け、胸のうちを理解してくれる仲間がいたか、密やかな不安があった。

しかし、こんな思いも男性を見かける回数が減ってから薄れつつあった。

先週の土曜日の午前中、私は診断書と薬をもらうために病院へ行った。

そのときに家の前を通ったら、いつもより車が多く止まっていたので、「知り合いが来ているのだな」と思い、特別な感情を抱くことなく通りすぎた。

一昨日の朝、居間から母が電話で話している声が聞こえた。

しばらくして、母のもとへ行くと、男性が亡くなったと聞かされた。
新聞のおくやみ欄を見たら、先週の土曜日の午前8時55分死亡、19日に近親者のみで葬儀を行ったと書いてあった。

私が男性の家の前を通った1時間半前に亡くなっていたのだ。
あの車の台数が多かったのは、一報を聞いて駆けつけた人たちのものだった。

以前にも同じような死を体験したことがある。

それは親しい友人だった。
友人としての力のなさ、明るい子だから、大丈夫だろうという気持ちがあり、ただただ、白い歯の笑顔が思い起こされるだけだった。

それだけにショックも多く、暗闇に行くのが恐くなって、夜は電気もテレビも点けっぱなしじゃないといられなかった。しばらく不眠が続いた。

共通の友人は、彼女は四六時中、症状に苦しみ、生き地獄だった。だから、楽になって良かったと思ったよ、と口にした。

死へのリハーサルもしていた。彼女にとって死は、遠いものでも、特別なものでもなかった。

“苦しみから逃れるための手段”だった。

そんな死を知っていたからか、今回は依然襲った症状はなかった。

周囲の憶測じゃなく、胸のうちは、真実は、全て男性のなかにある。
他の人々はそれを探るべきじゃない。
そっと天国に祈りを注げるだけであってほしい。

肯定してあげたい死だ。

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