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2010年3月28日 (日)

読了できた!

今日で28歳になってちょうど一ヶ月が過ぎました。
ひとつ自分に拍手をしたいこと。
長編小説の上下巻を誕生日の日に読み始めて一昨日読了することができたこと。
この病気は、集中力が散漫になって読書をするのも一苦労。
悪い時には内容がほとんど頭に入らないこともあります。
今回は一回本を開いたら10ページ読むことにし、調子が良かったら、もっと読みすすめるように決めて読書しました。

以前同じ小説を読んだのは3年くらい前。
その当時は、ハルシオンという睡眠薬を常用していたせいで、本の続きを読もうと開いても前日に読んだ内容をすっかり忘れていました。
読むことは読んだけど、3年経った今では断片的にしか覚えていませんでした。

ちなみに読了した小説ですが、ちょっと遠回りした表現ですが、23年前にベストセラーとなりました。フランス人に聞いた日本の著名人で1位に入るくらい有名な小説家で、ノーベル文学賞候補になったこともあります。
遠回りといいつつも、分かる方には作家とタイトルが分かると思います。

主人公の恋人が私の病気と重なる部分もあります。
時代を感じる小説で、性描写もあり、母が私に「どんな内容の小説」と聞かれても答えにつまりました。

登場人物のセリフはそれぞれの人生観が反映されているので、また改めて読み返してみたいと思いますが、一番印象に残ったのは、主人公の大学の寮の先輩が、就職を内定させ、寮を出て行くときに主人公にいった言葉
「自分に同情するな」です。

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☆西尾アナ情報

昨夜のこれダネは飯田市のお練り祭りからの中継でした。
7年に一度行われるお祭りで、獅子舞踊りを披露するお祭りです。稚児祭りなどもあり、飯田と下伊那から42もの団体が出演します。
獅子舞踊りをしながら、市内を練り歩くのです。
中継内で今回のお祭りで最大規模となる全長25メートルの獅子舞が登場し迫力がありました。中継内で登場しなかったら西尾くんが「僕が代わりに踊りますから」と言って、予定時刻になっても登場せず、結局西尾くんがオリジナルの獅子舞踊りを披露しました。
が、その直後、本物の獅子舞が到着し、笑ってしまいました。
あの踊りもよかったよ。

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2010年3月21日 (日)

話すこと

前々回の記事ですが、閉所恐怖じゃなくて、対人恐怖というのが正しいですね。
おととい、この悩みを職員に話をしたら「対人恐怖ですね」と言われました。
病気の体験を赤裸々に講演会で語れるようになった私でも、まだ残っているのですよね。
相談したら、これから人と接する時、事前に相手に説明をしておくべきだと言われました。

私は、普段、あまり自分のことを話さないので、「たかこさんは、もっとどんどんじゃべるべきですよ」とも言われました。
そうですよね。もっと自分のことしゃべって相手にわかってもらったほうがいいですよね。
このブログでは、告白することはありますが、客観的に振り返ってみて、当事者の会、ボランティアセンターでは、私はあまり話さず、聞き役になってることが多いです。

というのも、就寝前に薬を多く飲むので、昼間は頭がボ~っとしているせいもあります。

このブログを読んでいる皆さん、これから悩みを語ることもありますが、いろいろアドバイスもらえたらうれしいです。

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☆西尾アナ情報

昨夜のこれダネは松本市のサッカー場「アルウィン」からの中継でした。
昨年JFLに昇格した「松本山雅」の吉沢監督、柿本キャプテン、上松町出身の今井選手、塩尻市出身の小松選手が出演しました。サポーターの皆さんも集結して盛り上がってました。(今日が試合だったのですよね)。
今年の意気込みを語っていました。

JFLというのはJ1、J2につぐ、プロとアマチュアが混在したチームです。

私がはじめて松本山雅の試合をテレビで見たのは、昨年、地域リーグからJFLに昇格した試合です。強い!と思いました。
緑色に染まった観客席のサポーターの熱狂ぶりは、私が小6のときに始まったJリーグのヴェルディ川崎(今は東京ヴェルディ)のサポーターを思い出させてくれました。
もともとJリーグにいた選手も松本山雅のサポーターの応援ぶりはJリーグに近いと言っていたような。

西尾佳の歴史コレクションでは、松本山雅の歴史を教えてくれました。
95年、「喫茶山雅」に集まったメンバーで結成。
09年10月11日、天皇杯2回戦で浦和レッズに勝った。
昨年、JFLに昇格。
ということでした。

頑張ってほしいですね。

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2010年3月17日 (水)

私の今後

前回のブログに対して心強い言葉の数々をいただきました。
ありがとうございます。とても感謝しています。

こらからも、人の中で生きていかなければなりません。
症状をブログで告白できたことをきっかけに、前回の記事を手がかりにして、どんな人でも理解しやすいように文書にまとめて、いつも説明できる自分になろうと思います。

先のことを考えて落胆するより、今するべきことをしようと思います。

幸いにも、私には夢中になれるものがあります。

文章を読むこと、書くこと。
最近目覚め始めた料理を作ることです。

夢中になると、それにのめりこみ、時間が経つのも忘れ、自分に病気があること悩みがあることさえ完全に忘れてしまいます。
マイナスの自分がどこかに吹っ飛んでいってしまったような熱中ぶりです。

頭が混乱してくるので長い時間はできませんが、薬を飲み続けることで、以前より集中力が持続するのが、とてもうれしい。

それに当事者の会やボランティアセンターという行く場所があり、心のシグナルという自分を誰かに知ってもらえるブログがある。

これに限らず私には、まだまだやりたいことがたくさんある。
指を折って、挙げていくうちに、自分には明るい未来が待っていそうな気がする。

このブログでも、そんな自分の活動を紹介していこうと思います。

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5日遅れの西尾佳アナ情報です。
13日のこれダネは、東御市の道の駅「雷電くるみの里」からの中継でした。
東御市というのは、かつては町なかがくるみの木で覆われていたそうです。
いまは、その20分の1にくるみの木が減ってしまったそうです。
道の駅には、くるみのおはぎ、くるみソフトクリーム、うるち米を五平餅のようにしたその上にくるみだれがかかっているメニューが出てきました。
西尾くんは美味しそうに食べていました。
隣に道の駅の名前にもなっている「雷電資料館」がありました。
西尾くんの調べによると、雷電とは江戸時代に活躍した力士で、身長が197センチ、体重が188キロの大男だそうです。
成績は、254勝10敗で、勝率96.2パーセントだったそうです。
引退した朝青龍が勝率70パーセントだったそうなので、比べ物にならない強さだったのですね。そんな偉大な方が長野県の出身だとは初めて知りました。
今回も楽しい情報をありがとうございます。

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2010年3月13日 (土)

私が今不安に思う事

私には、閉所恐怖症というのでしょうか、そんな症状があります。
小学校中学年からあり、高校時代にひどくなり、ここ2年ほど前から薬のおかげでよくなりつつあります。
この恐怖症がなければ、もっともっと行動範囲が広くなっているのに、と思います。
厳密に言えば、閉所でも、いるのが自分ひとりなら何も問題ありません。
閉所で、ドアなどの出入り口付近から遠く、自分の周りに1人でも他人がいると困ります。
心臓がドキドキしてきて、お腹の調子が悪くなります。
これは、とくに症状がひどい時の例です。

お腹がゆるくなります。お腹の中が空気で膨張します。お腹の中で空気が移動すると、グゥ~っとか、キュウ~ってお腹が鳴ります。
閉所で周りが静かであれば、他人に聞こえてしまいます。

“お腹の音を他人に聞かれてしまうことが、たまらなく恥ずかしいのです”。

その恥ずかしいという思いで緊張が高まり、お腹の具合はさらに悪くなります。

パニックになりました。過去にかなり苦労しました。
学校の教室での授業時間は、私にとって地獄でした。
いつも、お腹の事が頭にあり、ビクビクしていました。

閉所に人がいても、お腹の音がかき消されてしまうくらい、話し声が存在したり、空間内に音楽が流れていたり、雑音などが存在する、にぎやかな場所(閉所)であれば大丈夫です。

そういう状況なら、もしお腹が鳴ったとしても、周りには聞こえないだろうから、緊張はなくなり、平気でその場にいられます。

たとえば、ファミレス、コンビニなどは平気です。
ファミレスであれば、だいたいBGMも流れているし、周りの客がしゃべっています。
コンビニもBGMは流れているし、店内を自由に動き回ることができます。

要するに閉所で、周りに人がいて、静かで、その場にじっとしていなきゃいけない、長時間定位置についていなきゃいけない場所というのが苦手です。

いまは、他の病気で処方されたデパス、コントミン、ブロチゾラン(睡眠薬)を飲んでいるおかげで、お腹がゆるくなることはなくなりました。
デパス、コントミン、ブロチゾランの副作用が便秘なので、私にはうれしい副作用(笑)なのです。

もちろん、この恐怖症のことを医者には相談しました。1999年から2003年まで通っていた病院では抗うつ剤を処方されました。薬を替えて治るものではないと言われました。
2004年から、いま現在通っている医院で上記の薬が処方されました。

昔の自分だったら絶対に行けなかった場所にも少しずつ行かれるようになりました。

乗り物にも乗れます。

ただ、未だにお腹の調子が悪くなった場合、いざというとき隠れる場所はあるかとか、出入り口はどこにあるか、いつも確認しないと気がすみません。

あと、まだ私は治ってないと、最悪な気分になる日があります。
それは、年に数回ほどお腹をくだしたときです。薬を飲んで気をつけていても、そうなってしまうことがあります。

そうなると、体も心も拒否して、家から出れなくなります。人に会うこともできません。
ただでさえ、派手な音を立ててお腹が鳴るから、人前には出れません。

普段私が行く場所、ボランティアセンターだったら、職員に詳しくは言ってませんが、閉所が苦手だということは言ってあります。心の病があることは職員は知っているので、途中で帰宅したりすることも許してくれます。無理強いはしません。
当事者の会だったら、会の合間でも、部屋の出入りは自由なので、スタッフやメンバーにも特に言ってません。
他のメンバーも多かれ少なかれ、定位置にじっとしていることはないし、休憩室もあるし、自由な時間に帰れるし、この人はこういう症状があるんだなと、察知してくれ、何も言いません。

お腹を下した日には、別の精神的症状の具合が悪いとの理由で休むようにしています。
私には幸いなことに別の精神疾患があり、心の病の中でもメジャーな病気であって、病名を言っただけで頭の良い人は、どういうことが苦手で、どんな症状があるか理解してくれるので便利です。ボランティアセンターの職員も、当事者の会の人たちも、友人も、知ってくれているので受け入れて接してくれています。
いちおう障害者に入ります。
(私は病気持ちです、というのと、障害があります、というのでは感じが変わってきますね。精神障害の場合、障害の対象になる病気が寛解したり、一定の所得を超えれば、健常者に戻ることができます。と聞いてます。私も障害者の認定を受けたのは、まだ2年前のことなので、障害者って区別されるのに抵抗があります。将来的には健常者に戻りたい)。

昔より良くなったとはいえ、これから長い人生を生きていくとなると、こういう私の深刻な症状を健康な世間の人は受け入れてくれるかどうかわかりません。

この症状のこと分からない人のほうが多いので、理解してくれるように、説明しなきゃいけません。相手が大衆である場合、全員を集めて、理解してもらえるように自分が説明する機会を持つ必要があるのかなと思います。

それが、今とても不安に思っていることです。

だから、これからの人生設計も立てにくいです。

過去にこの症状のおかげで、資格試験も断念せざるを得ませんでした。
受かり、どこかの会社に入れたとしても、閉所が怖かったり、お腹の具合が悪くなると人前にいられなくなってしまうというのでは、会社で使いものになりません。

だから、家にいながらにして、自分を表現することが出来、収入になる道は・・・と色々考えた末、物書きをするようになりました。

続けていくうちに、俳句が入選したり、短歌が番組で採用されたり、編集者が原稿を認めてくれるようになりました。今は広報誌に口語短歌が連載されるようになりました。
ただ、収入源になって、それ一本で食べていくことは難しいことです。
でも、確実に活路を見い出すことができました。

今時点では、母との二人暮らしで、亡くなった父が残していってくれたものがあります。それに自分には年金制度があり経済的には特に困ってません。倹しくはありますが。

でも、やっぱり、この症状のことですごく不安になります。自分の今後が・・・。

いま、私が自分のこと理解できている範囲で説明できるのは、これくらいですかね・・・。
今日一日でこの記事を書き、頭の中がこんがらかっていますが、理解してもらえれば幸いです。

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これダネ今夜もしっかり見ました。
こんな記事の後だから、後日、情報を書きますね。

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2010年3月 6日 (土)

食生活

スーパーへ行ってレジに並んでいる時「この方はどんな料理を作るのだろう」と、となりの主婦のカゴの中身をチラ見してしまいます。

私も見習おうという内容もあれば、忙しいのかお惣菜を買っている人もいます。

いろんな人がいます。

カゴがスナック菓子とソフトドリンクで一杯の2、3歳の女の子を連れた若い夫婦がいました。おかずとなるものがない。
女の子は顔色が悪くて、余計なお世話ですがちょっと心配になりました。

スナック菓子や出来合いのものを食べ続けていると、キレやすくなるといいます。
心の病になるのにも関係があるとも読みました。

最近、朝ごはんを家で与えてくれず、学校に行き、保健室の先生から食べ物をもらっている子供がいると聞きました。

運動会といえば、お重につめたお母さんの手作り料理が楽しみでした。
それなのに、今の一部のお母さんは、コンビニ弁当や宅配ピザを与えていて、かえって手作りのお弁当のほうが珍しいとテレビで見ました。

かわいそう・・・。

自分で時間をかけて料理を作り出した最近、余計に感じることです。

ココロが元気になるためには、ビタミンB3が含まれた食品を心がけて摂ることがいいそうです。

☆.。:・★.。:*・☆.。:*☆.。:*・★.。:*・☆.。:*・☆.。

☆西尾アナ情報

今夜のこれダネは、志賀高原スノービレッジ2010からの中継でした。
雪の中に木々、山、花などの形をしたイルミネーションがあり綺麗でした。

西尾佳の歴史コレクションでは、志賀高原の歴史を教えてくれました。
1930年に「志賀高原」と命名された。1947年に日本初のスキーリフトができた。1998年の長野五輪では、回転、大回転、スノーボードの競技が行われたそうです。

今週も勉強になりました。

髪型が(とくに前髪が)短くなっていて似合ってました。

月曜スペシャルにも出ていましたね。当日全部見れなかったので録画しました。見たいと思います。

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2010年3月 2日 (火)

レバニラまでの道のり

今日は天気もよく、自分も調子が良かった。

最近、料理にはまっています。
はまっています、っていうと普段どれだけ手抜き料理かばれてしまいますが。

夕食はレバニラ炒め。
ヤフーレシピで検索したものです。
ニラの他にもやし、赤のパプリカを入れます。
ニンニクだけじゃなくショウガを入れたり、ごま油や酢をいれるのが味の決め手だと学習しました。

まな板のとなりにレシピを置いて作ったので失敗することもありませんでした。
母も美味しいといってくれました。

しかし、豚レバーを手に入れるのに苦労したなあ~。

レバーってどこで買います?

まず、スーパーに入って野菜・果物売り場があって、次に魚売り場があって、その次に肉売り場がある。どこのスーパーもだいたいそうです。

私の地元では、肉売り場のレバーのスペースが狭いこと。
今日最初に入ったスーパーは、ひととおり肉売り場を見てから、ようやく上段のほうに、たった1パックだけあっただけでした。しかも150グラムくらいしか入っていません。
レシピの分量は300グラム。
分量が足りないので、2軒目のスーパーへ。
そこの売り場でも、やっぱ上段で目立たないところにありました。そこも3パックあっただけでした。しかも、300グラムを超えるものがありませんでした。
しょうがないので一番入ってる290グラムを買いました。

どうして、レバーってこんなにスーパーに少ないのでしょう。身体に良いのに。

どこの地域もそうなのでしょうか?

私の地域は、こんな具合です。

主婦たちはどこでレバーを買うのでしょうか?お肉屋さん?

レバーの少なさに、店長にひとことの紙を投じたい気分でした。

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