2009年8月22日 (土)

短歌・俳句、桃

今月と9月一杯は、短歌と俳句をそれぞれ10作品くらい創らなければなりません。
それというのも、先日ブログでも書いた自分の住む町内全戸に配られる広報誌にのせるやつ。
(詩でも、俳句でも、短歌でもいいそうです)。
それがひとつと
9月の下旬から近隣の町で開かれる「夢・アートフェスタ」に出品する作品づくり。
あともうひとつは、
10月6日に地元の合同庁舎で開かれる心の健康を考える集いで、詠む作品をつくらなければなりません。

短歌も俳句も
過去に何度かラジオで採用してもらったり、俳句では全国規模の大会で入選経験もあります。
しかし、私は独学です。
不安もあるので今回の出品をひかえて、俳句や短歌の入門書でも読んで、もう一度、基礎から学んで、作品を完成させたいと思います。

頑張ります。

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長野はいまは桃の収穫時期です。
近所のスーパーにならぶ桃は、天候不順が多かったためか(?)甘みがありません。
しかし、今夜のこれダネの中継先の安曇野の桃は美味しそうだった。
一体、いくつ食べたのかな。いい食べっぷりでした西尾くん。
皮と果肉の間にうまみがあるそうなので、桃を丸ごとたべるといいそうです。
桃を冷やして食べる場合、冷蔵庫に長時間入れておくと甘みがとんでしまうので、2時間くらい氷水につけて冷やして食べるのもおいしいみたいです。

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2008年9月23日 (火)

原田泰治美術館&ガラスの里

今日は諏訪へ行ってきました。

原田泰冶美術館とガラスの里ミュージアムです。

休日とあって混んでいました。

原田泰冶さんの絵は、アクリル絵の具による風景画です。

全国を旅して、心に留まった風景を切り取って描いています。

そこに描かれている人々は、目や鼻や口がなく、のっぺらぼうですが、どんな表情をしているか背景の景色から想像できるようです。

どれも温かい絵です。

ガラスの里ミュージアムは、ガラス細工が展示されています。

作品によっては一つの花瓶を完成させるのに5年とか10年かかっています。

やはり、一朝一夕で完成させるのではなく、長い歳月をかけて、心がわりすることなくしかも一つの芸術品を完成させるプロの芸術家には敬意を表します。

楽しかったのですが、コーヒーを飲んだ後、乗り物に乗ると酔ってしまいます。
なんて繊細な体なんだ・・・。

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2005年12月11日 (日)

ナルシスト

傍から見れば、今まで打ち込んできた記事の多くにマイナスのイメージを持った人もいると思う。
現に心配されてコメントをいただいたり、読んだ知人がメールして来てくれた。何度も何度も読み返しては、励まされたものだった。

しかし、これだけは言いたい。
傍から見れば凄い暗い記事でも、書いてる本人は、それも自分なのだから・・・どこか楽しんで打ち込んでいた日もあるように思う。

ただ、先日みたいに本当に苦しくなってブログで助けを求めたことは、苦しみ以外の何ものでもないが。

なぜこんな事を書いているのかというと、芸術の世界は何でもありだと思う。学校のテストのように答えは一つじゃない。
ブログを開設して、自分を表現している人の数だけ人の生き方がある。表現がある。芸術は答えが一つじゃないから、そこが楽しい。
表現者の数だけ無限。

一般社会ではなく、芸術というものを意識して自分を表現した時、生きる道が見える気がした。
それに気がつく以前は、今以上に悶々と自分の殻に閉じこもっていた。

顧みれば学歴の奴隷だった。それを断念せざるを得なかった挫折感はとてつもなく大きかったものだが。山積みになった教科書、参考書、辞典は霞んでいた。奈落の底に落ちていった。
まあ、ちっぽけな価値観の人間だったということだ。

「うちの子は○○大学に合格して」と自慢げに話している、親を見て、殺意さえ感じた。

まさに、人の不幸は蜜の味。そんな人間になった時期もある。

時には慣れないアルコールを痛飲し、自虐してしまった。
けれども、酔いがまわってくると、いい気持ちになり、自分への慈しみが生まれる。心臓がドキドキし、壁は波うち、意識がもうろうとし、トイレの床に座り込んでしまった。お尻が冷たい、そういえば自分は潔癖症なんだということも思い出すが、立ち上がる事が出来なくなってしまった。

こんな姿もいいと思った。好きだった。
お気に入りの小説の中の登場人物と自分を重ね合わせ、その状況に陶酔しきっていた。恍惚のひととき。

私は昔から人と変わった事をするのに、喜びを感じる人間だから。

その時は苦しく、辛く、人を憎んでも、経験したものがすべて自分の感性を形成していったのだ。
無駄じゃなかったと思う。
ネタになって文章や会話で表現できるのだから。

今年になってコンクールに応募した。どれだけ応募したか数知れない。

結果が出れば嬉しい。よっぽど上にいかないと批評はしてもらえないが。

苦しい日も未来のネタになると思えば生きるのが楽しい。

同じ長さの人生なら、充実して楽しく生きたいものだ。

誰かの言葉を借りるなら、

自分をかっこいい、美しいとも思い、究極のナルシストの域まで行ってみたい。


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